天風哲学で学ぶ社長のあるべき姿13-2
企業の存在意義を考える(13-2)
私が相談に乗った多くの会社は小規模であり、自ら創業したものもあるが、多くは2代目、3代目である。生まれた時から社長になることを運命づけられた人たちも多かった。だからではあるまいが、会社は自分のもので自社以外はあまり気にしないという自己中心の社長も少なくなかった。
先代の時代は右肩上がりで需要が旺盛、「いけいけどんどん」の時代を経験している方も多く、その流れや社風をそのまま引き継いでいる会社もかなりあった。後継者となった今の社長は先代のやり方を踏襲していけば、ある程度の会社になり維持できるものと思っている方があまりも多いが、現実は違っていた。
世の中の変化が速く、競争も激化、あげくは需要が縮小している。この時代に先代の考え方や社風で乗りけれるかどうかにつてはほとんどの社長が気づいていない。気づいているとしても、どのように対応していくべきか、わからないのが現実である。
以前の話しで恐縮であるが、船井総研の船井幸雄先生が経営にとって「本物の時代を迎えた」といっていた。まさに本物の経営が活かされる時代に入ってかなり経つが、いまだ旧態依然の経営を行っている会社が多い。
いまこそ、会社は誰のものか、会社の目的は何か、会社はどうあるべきかなど経営の基本が問われている。経験や理論ではなく、会社そのもの存在価値が問われているのである。いわんや「会社は自分のもの」、社長の「好き勝手な経営」で、この時代を乗り切れるわけがない。
「人が生まれてきた」目的も「会社は何のために存在するのか」も同じことであり、そのことを明確かつ真摯に受け止める必要がある。そのうえで自社の方向性を示していかなければ会社の存在意義や存続そのものがない。
すなわち、この世に出た以上、人間であれ会社であれ、社会や他人に役に立たなければ、存在している価値はないということである。
会社は一人では存在できない。従業員や取引先、そして会社を取り巻く社会全体、その中でも最も重要なのは「顧客」であり、当社は誰のために、何を通して(商品やサービスなど)、どのように役に立とうとしているのかが明確でなければならない。
ゆえに、会社は「社長のもの」、「自分勝手に運営してもかまない」などと考えていては、社会からは抹消され存在価値のない会社になってしまうのである。
もう一度、自社を見つめ直してほしい。具体的に「私の会社が・・・、私の店が・・・、もし廃業したら誰が困るのかを考えてほしい」。ひょっとするとあなたの会社の存在価値や役割は終わったかも知れない。あなたの店や会社に代わってもっと役に立つ競合店(会社)ができているのかも知れない。
意地や惰性での企業存続は無理である。特にコロナ禍で給付金や借り入れによる資金が潤沢になった会社の方、窮境状態の先送りではないのかを、もう一度見直してみてはどうか。そして天風先生の言う次の言葉を噛みしめていただきたい。
「あなたの仕事が事業として成り立っているのなら、それは少なくとも現在は自分の利益を上げると同時に相手の利益にも役立っているのである。自分の欲望だけでしようとする事業は、そう滅多に成功するものではない。事業に成功するのは、自分が欲望を離れて何かを考えたときに、またその考え方を実行したときに成功するのだ」