亞門さんに学ぶ

エッセンシャル・マネジメント・スクールEMS)アート・スポーツ・エンターテイメント コース。

今週のインプットはこちら:

リーティング演劇 日本一 わきまえない女優 「スマコ」 〜それでも彼女は舞台に立つ〜(宮本亞門さんの最新作:何と無料公開)
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亞門さんに学んだ、仕事とのつきあいかた

演出家は、役者やスタッフの仕事を通じて感動を生む。組織の上長・マネジャーは、メンバーを通じて成果をあげる。共通するものが多い。
亞門さんからマネジャーが学べるものは何か。

「僕が全部責任取るから、大丈夫〜!

明るいトーンで何度も亞門さんから聞いたセリフだ。「責任」という言葉をこんなに明るいトーンで聞いたことがない。
これは、パワフルだ。これを言われたら、もう、持っているものを全部ださなくては、という気持ちになる。引き出される。
上長・マネジャーが、この一言を本気で、しかも明るく言えるようになるだけで、どれだけの組織が突き抜けた成果を出せるようになるだろう。

全員が自分の「役」割を持っている。リアルと演じるは紙一重。仕事は徹底して役を演じきる、出し切る。するとその中に生きた自分が入ってくる。
行動や対社会では演じるのが助けになる。あるままではなく、あるべき姿を演じればよい。フリをすればよい。漠然とやるよりも、演じた方が「吹っ切れる」。でも、自分の本質は演じる必要はない。そして自分が一番楽しめる方法で仕事をする。

「役」を演じきる。その中に自ずと滲み出てくる生きた自分がintegrityなのだ。あるべき姿を演じて良い。それは自分を偽っているのではない。そしてそれをやりきったとき、仕事が楽しめるはずだ。

What do you want to be ではなくて What do you want to do 君はその仕事を通じて何をしたいのか。肩書きではない。

友達をつくるために仕事をするのではない。最高のものをつくるために仕事をする。

空気を読みすぎると自分の良さが出なくなってしまう。自分の意見をいう。
場を乱さない。場をわきまえる。この「お作法」は最高の仕事をするために必ずプラスになるだろうか。
「後で」はないと心得て、思いついた瞬間を「旬」間として、自分の意見を言うのだ。

わかったふりをしない。あらゆるものを見て徹底的に調べる。徹底的に読まなくてはならないものとはフュージョンする。調べもせずに降りてこいはない。

過去の誰かがやったようなことにハマっていくのはつまらない。丸々界に縛られない。普通、考えやすいというのをいったん脇に置いておく。誰かと同じものにならないように一旦破壊行為をする。新しいものはテクノロジーも含めてなんでも入れる。

独りよがりではなくて、相手にも感じてもらえるものか? 

やっていることがどれだけ素晴らしいか言いまくる。絶対に引かない。
みんな甘えたい。でも最後に解決できるのは自分しかいない。

好き嫌いでものを判断しない。
具体性をもっていう。


亞門さんに学んだ、人とのつきあいかた

全てを受け止め、エネルギーを注入して返す聞いている時の亞門さんと話している時の亞門さん・・・全く違っていた。

聞いている時は、全てをうけとめ、漏らさない
話す時は、エネルギーを注入して返す。聞いた項目を端折ることはなく、全ての項目に答える。応える。そして、相手の名前も必ず入れて、一般性を減らす。

自由とゆとりを確保する:次のことはわからない と 約束しない
お誘いがあった。すると亞門さんは、「次のことはわからない」とその場での約束は回避した。
数多くのお誘いがあるはずだ。その中で自由とゆとりを確保する方法を垣間見た。

人を思う演出
会の最後のところで、亞門さんの愛犬が登場。なぜ、最後に愛犬が入ってきたのだろう。
人を大切にしたいというのは亞門さんからストレートに伝わってくる。亞門さんは参加者の皆さんが、とことん亞門さんとお話を続けたいと思っていることを感じていたはずだ。中座をするのは心苦しい。そこに愛犬が登場した。Excuseのためにわざわざ登場させたのではないと思う。必然性をもって登場したのだ。「偶然はない。全部必然」の真髄だ。
亞門さんの愛犬からは、「まだ終わらないの?散歩に行こうよ!」というノンバーバルコミュニケーションを皆が感じる。
亞門さんからはノンバーバルに「決して僕が早めに退出したいのではない。今まで待っていた愛犬がそろそろ散歩に行こうというのだ」というメッセージが参加者に伝わる。亞門さんによって演出された瞬間だったように思う。

「ダウン症のある子」亞門さんの言葉の細やかな使い方に気づいた。「ダウン症の子」という言い方をしない。「ダウン症のある子」という。おそらく「障害者」と言わずに「障害のある人」、「患者」「病人」と言わずに「病を患っている人」という言い方をされているのだと思う。人にレッテルを貼らず、まず、その人としてリスペクトする。ちょっとした言葉遣いのちょっとしたことに、多くのことが表出するのだということに気づいた。

怪しいものの見分け方:断定して決めつけて人を安心させることがある。ここは疑わなくてはいけない。
「ややっこしい」を楽しむ:人間は矛盾に満ちているから面白い。
先入観を捨てて、ありのままを受け入れる:最初のタイトルは見ない方がいい。有名だからとか、無名だからとか。
たった一言で相手の心は開くし閉じる:最初の一言が大切。相手の立場を一言配慮「個人の意見だけれど」

亞門さんに学んだ、コロナとのつきあいかた

コロナでもう人の繋がり方が変わっている。コロナの時期は面白い。繋がりやすい。今ほど人と出会えることはない。

新結合。人脈のイノベーションが始まっている。

何をしたいんだろと考えている。普通に戻るまでに大きな変化を。
何が大切かを気づかせてくれる巨大なブレーキ。

これまで、惰性で何をやってきたのだろうと気づかせてくれる変化。
江戸時代から明治時代へ、戦中から戦後へ。コロナ前から現在へ。
少なくともこれくらいのインパクトは起こっている。20世紀には世界大戦が2つあった。世界というけれども、実際に関わったのはごく一部の国と人々。
今回のパンデミックはグローバル化が進んだ世界での初めてのパンデミック。人類のほぼ全員が関わっている。安全なところなどない。この規模のインパクトの最大値はまだ把握されていない。

これからもっと厳しいことがおこる。と、準備。強さを鍛える。

変異ウイルスの蔓延は、ある意味、次の感染症・パンデミックが間を置かずに始まったともいえる。
さらに、地震・台風・ゲリラ豪雨・火山の噴火・隕石や宇宙ゴミの落下・紛争・サイバーテロなどのインシデントもパンデミックとは関係なく起こる。
このパンデミック一つをマネジメントできていないところに複合的にインシデントが起こったならば、相当に厳しい状況に私たちは置かれる。
そして、これは幻想ではなく、それなりの確率で発生する現実だ。
努力は、元に戻すためではなく、もっと厳しいことが起こった際のための強さを鍛えるために取り組むべきだと思う。

個人の意見だけれどとして相手の立場を一言配慮

新型コロナウイルスによって、現実に340万人が孤独に苦しんで亡くなっている。亡くならずとも後遺症で悩む人も多い。そして医療現場は戦場だ。
コロナは新しい機会とポジティブに関わることを推奨する一方で、新型コロナウイルスで亡くなる・後遺症で苦しむ、といった現実への配慮は必須だ。
だから、「個人意見だけれど」という但しが重要。


亞門さんに学んだ、自分とのつきあい方

命はパッと無くなる。あっという間に肉になって、灰になる。このように死を思うと、エネルギーがでる。
今、まだ生きていることが自覚できる。1秒も生きている瞬間を無駄にしない。

アンテナが錆び始めたときにリセット。自分を新鮮に。とにかく身軽でいること。大きな変化の局面でバンと変われる人が強い。芽生えたらそれでチャレンジ。

何もやって見せてないのに、分かってもらえると思い、他責にするのは最低。やっているつもりでやっていないことはないか。

出し惜しみしても意味がない。全部出すんだよー。

幸せは無限大にあるので全部出しても枯渇しない。幸せを謳歌すればさらに幸せが入ってくる。
自分が一番やりたい自分になっているか。好きな自分でいるために努力する。自分が楽しくなるところに身を置く。


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