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日本童話の至宝「ごんぎつね」の救いについて

日本の「児童文学」にカテゴライズされる作品で長編は「銀河鉄道の夜」、短編は「ごんぎつね」が最高峰と信じて疑わない私です。
アニメーションが放送されると聞いて見ない選択肢はなかった。

案の定、涙が抑えられず……

新見南吉の「ごんぎつね」は思い出すだけで泣けるんですが、
これラストに「救い」があるのがまた泣けて泣けてしかたないんですよね。

ごんは、名前を呼んでもらい、兵十に栗をあげていたのが自分であったことを知ってもらえる。
そして、「お前だったのか」にうなずいてみせることができた。
たった一瞬だけど、通じ合うんです。

子どものころは、ただただかわいそうな話だと思っていたんですけど、そしてもちろん今だってかわいそうだと思うんですけど、

これ、兵十に認めてもらえないまま、ただ撃ち殺されて終わりの可能性も十分あったな、と。
現実にはそうなってもおかしくないじゃないですか。

アニメーションでは、彼岸花が季節の移り変わりと密かな交流を巧みに表現しているのですが、
そして彼岸花が散るそのときに、奇跡の時間は終わりを告げるのですが、
ごんは最後に幸せだったんじゃないか、と思える終わりでもある。

ディズニー映画だったら、もう一回奇跡が起こって、回復したごんが兵十と仲良く暮らすんだけどなあ……!と思わなくもないですが、
このラストだからもちろん名作なんです(言うまでもない)。

草稿では「(ごんは)うれしくなりました」とあるらしい。
元の方がよかった、という意見も見受けられますが、
私はあえてそこを抑えたのが素晴らしい、と思う。
伝わるから。書かなくても。

そこを敢えて抑えて読み手に想像させるからこそ、この佳品は長年小学校国語の教科書に位置を占めてきたんです。
どれほど時代が変わっても、この作品だけは国語の教科書に載っていてほしい、と本気で思っています。


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