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秋陰の一人墓参

(一)

 秋も深まる寒山間近の山道を抜けて、故郷の墓地をひとり訪れた。

 古い祖先の時代に切り開かれたこの墓地は、田んぼ二枚ほどの広さで、周囲を背の高い木々に囲われた、ひとりで訪れるにはうら寂しい場所にある。枝のほとんどをむき出しにした木々は、山陰特有の曇天と相まって、いっそう物悲しさを感じさせてはいたが、最近切り開かれた一角には、太陽光発電のソーラーパネルが整然とならんでいるなど、ある種の滑稽さもにじませていた。

 もともと墓地はすぐ隣りの山の斜面にあって、祖先はそこに土葬によって埋葬されてきた。死者と棺はやがて土中で朽ち、できた空洞は地表のわずかな窪みとなって現れる。斜面のあちらこちらにできるこの窪みは、肉体の消滅と魂の生まれ変わりを感じさせてきた。

 この地では1980年代まで土葬が続いたが、やがて火葬が一般的になり、斜面での墓参りも危険視されるようになったことから、旧墓地はそのままに行政によって新たに平坦な今の墓地が隣接された。

 未曾有の感染症が蔓延し、しばらく帰省を控えていたが、ちょうど用事ができたことから、久しぶりの機を得ることとなった。初めてひとりでこの墓地に踏み入ったわけだが、はて目当ての墓がどれであったか、縦横にならぶ墓をぬって歩くに、足元の砂利が右へ左へわたしの心を揺さぶった。

「家族と来ればこんな心配もなかろうに」

わたしはひとりそう思った。

(ニ)

 墓地の真ん中あたりにある墓に、祖父母と父の名は刻まれている。墓石は現代らしく角はぴんとして表面はなめらかである。雑草は思ったほど生えていなかったが、花立には夏に母が供えたしきみであろうか、ほとんど溶けた葉の残骸として内側にこびりついていた。

 墓石のまわりの雑草を抜くと、つられた玉砂利が濡れた底をおもてにほうぼうに散った。花立を共同水栓で洗い、母の家から持ってきたしきみを供えた。線香を供えて般若心経を唱えた。途中まで唱えたが、あとは忘れてしまったのでやめた。立ち上がってしばらくその場に佇んだ。

 ふと先に目をやると、密から離れて八つほど墓が端にならんでいた。旧墓地から移設されたものだった。墓はくたびれた暗い灰色をしていて白い斑点がところどころについていた。頭は四角錐の形をしていた。何の墓かは知っていた。

「昭和十七年二月 ルソン島バタアン州カナス岬付近ニテ戦死ス 行年 二十四才」

 墓石の側面に刻まれた文字。ほかの墓も同じようなことが記録されていた。どれも近所によくある苗字であるからきっと誰かの祖先であろう。

 墓石のまわりには曲がるというよりも折れるという感じの太い茎の雑草がたくさん生えていた。不意にわたしはその雑草をむしりはじめた。茎にはちくちくとした無数の細かなひげが生えていたがかまわず素手で引き抜いた。一心不乱にむしり取って、墓地の端にある山の奥に放り投げた。

 そうしてまた家の墓まで戻った。線香や供物を片付けて墓をひとりあとにした。帰り際、横に目をやると、腰まで伸びた雑草が旧墓地を覆っているのが見えた。もはやどこからどこまでがそれかわからなくなっていた。


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