感情の起伏を見せてくれるね
どうしよう。
ウォヌのこと大好きになっちゃった。
どうしよう?
どうもできない。
あなたの事こんなに好きになるはずじゃなかったの。
画面の向こう、海の向こうの人。
どうしようも無い。
何も出てこない、どうしようもない、
でも大好きになっちゃった。
ここまでが2024年5月23日の下書き。
その日なにがあったのかはすっかり忘れちゃったけど、
何かしらのきっかけで生まれた
彼へのその感情は私の手元を離れてしまった。
3か月下書きのまま眠り続けたこの文章たちも、
こんな形で日の目を見ることになるとは思っていなかったと思う。
前置きが長くなったけど、お久しぶりです。
まだ私の中にあなたがいたことに驚いている。
もうどこかへ行ってくれた、あるいは”殺せた”のだと思ってた。
もう私は「大丈夫」だと思ってた。
確かにここ最近色んな事が本当に少しずつだけ、本当に少しずつ、色んな事が思うようにいかなかったり、人の嘘に触れる機会が多かったり、他人の発する発言ですり減らしたりしていた。
ひとつひとつが小さすぎて全く気にしていなかったけど、どうやら私の中にドロドロしたなにかが嵩を増してきている。
今日は推しを見に行って日々のストレス吹き飛ばすぞ!と意気揚々に出かけたのではなかったか。
私はこういう状態になると文章に吐き出して
自分の膿を出し切ろうとする傾向があるけど、
これを書いている私があなたなのか、出そうとしている膿があなたなのかは分からない。
今日は映画を見に行った。
FOLLOW AGAIN TO CINEMAS。
めちゃくちゃ楽しみだったから、日曜日のチケットにも関わらず、発売日12時にサイトを張って、目線位置ド真ん中の席を勝ち取り、完璧だった。
スングァン。
「なんでもないことに急に意味を感じる時ってある。」
「彼はいつも公演を見に来てくれる人だった」
「自分を必要としてくれる人たちがいることわかってるから、これからも頑張って生きていく」
そんなことを話していたと思う。
どうしたらいいのか分からないよね。ずっと。
探しているゴールなんてないのかもしれない。
彼はまだ、トンネルにいる。
「胸に留め続けるべきだとも思っている」と言った。
もう私たちはこれと共存していく他ないの?
もし「大丈夫?」と他人に気かれた時、どの状態になれば大丈夫なのか。相手に出来ることはないからそれで言えば「大丈夫」なのかもしれない。
スングァン、きっとあなたは”大丈夫”だけど、もう癒えない傷であることを受け入れようとしているのかもしれない。傷ごと”自分”にするには膨大な時間が必要になる。でも優しいあなたはそちらを選ぶしか道がない。
あの頃を救ってくれた大多数にSEVENTEENがいて、私を私に戻してくれた象徴であるのと同時に、どうやらあの何も見えないトンネルの象徴でもある。
ここまでが8月25日までの下書き。
今日。なんとなくnoteを開いたけど、5月の気持ちも8月の気持ちも今日の私には全く理解できない。
明日の私すら今日の私を理解出来るのか微妙。
「私も今日を生きるのは初めてだから」
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