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感覚も五角形も人それぞれ

人との会話の中で得られるものはたくさんある。
それを忘れないでいたいからここに書記しておこうと思う。


私はポジティブな人の感覚がよく分からない。
しかし自分が特段ネガティブなわけではない。

ここでいうポジティブは失敗してしまった時に落ち込んでもすぐ立ち直れる人ではなく、負の感情が湧きにくい人のことと言いたい。

先生に、アドバイスを求めたくて私は
自分が日々嫌だと思うことに対してどう考えて行動したらいいか
問うてみた。
例えば勉強やバイト、理不尽に怒ってくる人などだ。

すると先生は、嫌だと思うことがないのだと言う。
どういうことか紐解いていくとどうやら、綺麗事を言っているわけではなさそうである。
過去に嫌だと思う経験をしていないわけではないと思うが、自分がしてしまったことはさておき、人からされた嫌なことはすっかり忘れてしまっているのだそうだ。
先生は、
「お気楽ですよ」
と言って笑っていた。

それに加えて、先生は嫌だと思うボーダーがとても高いのだと思う。
「もちろん悩みはあるけど嫌だと思うこと自体はそんなにない」
と言っていた先生の「悩み」というものは
授業の進め方に迷ってしまうことや同じ先生同士の小さな衝突などだった。

私は聞いて、自分の立場で考えた時それは「嫌なこと」になり得るなぁとぼんやり思った。
生徒が全然予習をせずに来でやる気のない態度を取られたら以降教えるのが億劫になるし、教室に行くのも「嫌だな」と思ってしまうはずだ。
同業者と衝突があることなんてもっと嫌で休みの日はぐるぐる悩み沈んでしまうことだろう。

しかし、先生は「悩み」と「嫌な感情」を区別していた。
それが私にとってはすごく新鮮で、自分にはない考え方なのだと思ったのだ。

何事にも理由がつきものだから、悩みにも嫌なことにもそうなってしまう理由があるのだと先生は続けた。

その理由が自分で解決できるものだったら「悩み」となり、自分じゃどうしようもないものだと「嫌なこと」になるらしい。
そして、どうしようもないことからは身を引くと言っていた。

そう言っていた。
先生の言うことはとても分かりやすく理解できた。理路整然としていて非の打ち所はない。
が、自分に当てはめてそういった考え方ができるわけではない。
先生からは負のオーラが感じられなく、いつもどこかやる気と力に満ち溢れているように感じる。
私は、そんな先生はポジティブな人だと思う。

そのように考えた上で、ポジティブは分からない。手に入らない、とても憧れてしまう気質のような気がする。


昨日同級生と会った。
時系と文章の順番が前後してしまうのだが、彼は先生と同じ要素を持っているように感じた。
正確には先生から彼と似たものを感じ取ったのだが。

彼もまたポジティブな人間だと思った。
どうやら何をしていても楽しいらしい。
勉強も、インターンも、1人で何かすることも、人と会って話すことも。
人生楽しめると言っていた。

私には輝いて見えた。
文字通り、彼をみて話を聞いている時は光っている何かを見ている気分だった。
いや、後ろにあった照明がただ眩しくて錯覚してしまっただけかもしれないが…。

彼のカリスマ性は中学の時から目の当たりにしてきた。そして今もなお留まることなく動き続けている、人より速いスピードで。

彼は私に、
自分の根本の部分は変わっていない
と言ってきた。

私からみても変わってないように思う。
どういう意図で言ってきたのかは分からないが、変化しつつも変わっていないことを知って欲しかったのかと思った。
個人的な都合のいい解釈に過ぎないけれど笑
変わっていく姿も、変わらない部分も今までと変わらず見ていけたらいいなぁと勝手な願望を抱かずにはいられない。

ずっと先を歩いているように思うから、きっと私は自分の背中を見せられてはいない。
彼の秀でた五角形のてっぺん分野で私が追いつき追い越すことは不可能に近い。
だからきっとこれからも私の背中を見せることはできないと思う。

でもこんな私にだって魅力はある。
それは先生にも、彼にも負けてはいない。
その分野をうまく人に魅せられるようになりたいと強く思った。
正五角形は残念ながら個性とはいいにくい。
しかし、大きくすればするほど見てくれる人が増えるし、魅力だと思ってくれる人も増える。

彼らは私の目から見て、本当にすごい。
きっと一生憧れてしまうけど、同じ形にはなれない。
だから人とは違う分野で勝負したい。
私の魅力も、認められてすごいって思ってもらえるように磨き続けたいと思う。


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