失われた日本人の絆
失われた日本人の絆
家族の空洞化・地域共同体の崩壊
1960年代:団地下による「家族の内閉化」が特徴付けられていました。
地域が担っていた便宜の供給を、専業主婦が専一的に担うようになります。男はサラリーマンや工場労働者になり、女はそれをサポートする専業主婦になりました。
1980年代:ニュータウン下による「家族の空洞化」が特徴付けられます。
「コンビニ&ファミレス化」によって、専業主婦化が緩和され、その分市場サービスや行政サービスを利用されるようになります。このような生活の多様化をもたらしたが、家族の絆は希薄化しました。同時に、地域商店街や地域の共同売店も大型スーパーに負けてしまい、立ち話など生じていた地域の繋がりもなくなってしまいます。
1985年〜:<第4の空間>「尊厳を奪われない居場所」を求める動きが広がる。
かつて学校と家と地域にはそれぞれ別の原則がありました。「学校で勉強ができなくても家業を継げればいいとか、お嫁に行けばいいとか。」しかし、それがなくなり、家でも地域でも成績の話しか評判にならなくなりました。
その結果、尊厳、自己評価のリソースが不足します。この「学校化」ゆえの「尊厳のリソース」を背景に、学校化されていない空間=<第4空間>で、「尊厳を奪われない居場所」を求める動きが広がりました。
<システム>の全域化による、<生活世界>の空洞化
始めにそれぞれ定義しておきます。
<生活世界>は、記名的で、入れ替え不可能で、流動性が低い。
→地元商店街なもの。立ち話などが生じる。信頼に依存し、感情的安全がある。
<システム>は、匿名的で、入れ替え可能で、過剰流動的。
→マニュアル通り演じられれば誰でも構わない。ファミレスなど。グローバル化に適しているため、一挙に全世界化。
個人間の信頼ではなくシステムに依存しているため「知らない人でも信頼できる」という前提から「知らない人は信頼できない」という前提に変わります。
システムへの過剰依存の完成
1979年:奈良県で隣人訴訟
隣家に子供を預けて外出したら、その間に溺死させてしまったため、隣家の管理責任を問うて訴えましたが、当時は全国からバッシングされて敗訴になりました。
1983年;行政が怯える。
隣人訴訟事件をきっかけに行政が怯え、河川の立ち入り禁止や、屋上や放課後をロックアウトし、公園からブランコを撤去します。場所からの隙間や過剰の消去が進みます。
90年代:<不安のマーケティング>を背景に、セキュリティ産業の拡大。
90年代半ば:オウム事件以後、監視カメラが設置。
不可解な少年犯罪が激増し、「人を殺してはいけないと思うから殺さない」から「誰かに見られてる(監視カメラ)から人を殺してはいけない」にシフトする。
市場と行政の依存を深め、逆に共同体自治による自立を失っていくプロセスだとわかります。何かあれば国家を呼び出します。
まとめると、
①社会ベースから国家ベースへ
②信頼ベースから不信ベースへ
③多様性ベースから均質性ベースへ
これは、<生活世界>が生じて<システム>を全域化することは、従来の人間関係が変化する「神経質化」が生じます。見えない部分に対する「疑心暗鬼化」がどんどん広がります。
もはや、人間はシステムを利用しているのではなく、システムの中に生きている生物に過ぎないことが意識されます。このような社会をポストモダン社会と言います。
他にも例を出すと、優先席ではお年寄りに席を譲っても、優先席でない場合は席を譲らない人も多いかと思います。
これらは、意識的に決定しているのではなく、システムに依存している事がわかります。
つまり、計算可能性が高く、人間が機械のようになり、機械が人間のようになる世界になってしまっているのです。僕の大尊敬する社会学者宮台真司さんの言葉で言うと「感情の劣化」、「法の奴隷」と言います。
人間は情熱的になると損得を超えて思わず動き出してしまう力を備えているのにも関わらず、内から湧き上がる力が生じなくなってしまっています。
少し話が脱線してしまいましたが、世界共通で(主に先進国)人と人との繋がりが希薄化していることが分かります。
このような状態で国家に頼れないとなれば、一人一人の共同体意識が必要となります。だから私は、新たな形で生活世界を作り出し、損得を超えた繋がりを社会に作っていきたいのです。
令和はそんな時代にしていきたいです。
Familyinnを通して、多様な家族のかたちを広げていきたいです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。