大学を退学し、親と縁が切れても絶望せず「新しい家族の形」に希望を見出して人生を賭けている理由
「お前にはできない」
「そんなもの失敗する」
「まともな人間にならない」
「子育てに失敗した」
「お前はおかしな人間になってしまった」
自分の意見を言うと、怒鳴られ、人格を否定され、強く反論すると、包丁を向けられていた。
ずっと辞めたかった大学を退学し、親子の縁が切れた。 ようやく、6年間の苦しみから解放された。
【自己紹介】
初めまして。杉本朋哉と申します。年齢は23歳です。私は、20歳の時に2社目である株式会社Familyinn(ふぁみりん)を創業し、田舎ホームステイサービスを運営しています。
Famiylinnは、田舎・地域交流のあるお家に住む「ホスト」の空き部屋に、「ゲスト」が1ヶ月以上のホームステイを行うプラットフォームサービスです。現在は北海道から鹿児島まで30のホームステイ先があります。
”相互扶助の社会を実現する”をミッションに、
”豊かな暮らしの最大化” をビジョンに掲げています。
僕は親ではなく、社会に訴えたいことがあります。なので、僕の生い立ちは簡単に綴りました。この記事では、僕たちの社会が向かっている方向について記しています。長い文章になりますが、ぜひ最後までお付き合い下さい。
1. 6年間の闘いに終止符
僕は、興味のあること全てに挑戦してきました。志しの実現を目指し、絶えず行動し続けました。
「お前にはできない」
「そんなもの失敗する」
「まともな人間にならない」
学歴主義・大企業主義の両親の理想とは真逆の人生へ進んでいる僕の行動に不安を感じた両親は、僕自身の進路を閉ざそうとします。 親だけでなく、友達・大学・バイト先のオーナーも、四方八方全て同じ意見でした。 大学の価値を見出せず、大学に行かなくなった僕は、朝から怒号され、常にストレスと自分の存在価値に絶望する日々でした。
「このままでは本当に気が狂ってしまう」
そう思い、窮屈さを感じた僕は家を飛び出しました。2回の家出に失敗しましたが、3回目の家出で成功しました。
長期の家出期間を経て、2年振りに一度実家へ帰りました。時間を置くことで心境の変化があると望んでいましたが、その望みは叶いませんでした。
「子育てに失敗した」
「お前はおかしな人間になってしまった」
両親から怒鳴られる日々が続きます。僕も強く対抗します。そんな僕に対し、父親は言います。
「言うことが聞けないなら親子の縁を切れ!こっちは覚悟したからな!今すぐ決めろ!」
頭の血管が浮き彫りになり、まともに感情が制御できない状態だと察しました。反論すれば刺されてしまう、本気でそう思いました。しかし相手は縁を切ることは本意ではないと思い、縁を切らない他の案を提案しました。 しかし、結果は変わることはありませんでした。
「大学を退学するなら親子の縁を切れ」
大学行く/行かないの交渉は、6年間ずっとしてきたことですが、「縁を切れ」との話は初めてであり、今回は長期に渡った交渉でした。相手もこちらも一切の軸がブレない、そして今まで以上に根回しもしてくるので、僕の人生を本気でコントロールしようとしていることが伝わりました。
僕:「大学は辞める」
父:「じゃあ縁を切るってことだからな。分かったな。」
僕:「うん。」
電話が切れた。
僕は大泣きした。
自分でも驚くほどに泣き叫んだ。
この6年間で僕は、家族の窮屈感、家族以外の居場所のなさ、閉ざされた社会に対して強烈な違和感を感じていました。それは僕以外の多くの若い世代も同様に感じていることが分かりました。
2. 「閉ざされ」は社会の病
先月の3月に、娘が親の身体をバラバラにした殺人事件が報道されました。
母の進学先の願いにより、過度な束縛をされ、9年の浪人を経て苦しくなり、母親を殺した事件がありました。 この子も家出を繰り返したが失敗。最終的に事件を起こす結果になってしまった。本当に社会は残酷だと思う。僕も途中まで本当に流れが似ていました。
しかし、この「閉ざされ(≒窮屈感)」は、若い世代だけでなく、親世代も感じていることでした。
「社会で価値を発揮しなければ生きている価値はない」
「自分の子供は私たち以外誰も助けてくれない」
「家族の問題は家族で解決しなければならない」
多くの人がこのように思い込んでいます。
本当にこのままでいいのでしょうか?今の社会が何も変わらず継続すればどうなるのでしょうか?
現状の日本では、60万人以上の引きこもり、孤独死の数は年間3万人以上(1日72人以上)が体が腐敗した状態で発見されています。
子世代、親世代だけでなく、どの世代にも共通して「閉ざされ」を感じています。これは個人の問題ではなく、社会の問題です。今回生じた親子関係の結末も親が悪いのではなく、そうなってしまった社会がダメなんです。この社会構造を変えなければ、何も変わらない。負の大量再生産が続いていくのだと感じました。
この負の連鎖が続く社会を僕たちは目指したいのでしょうか?人と人が支え合う社会はもう来ないのでしょうか?人間関係をコストとみなし、便利快適な、寝そべってるだけで食事が用意されて動画を見て生活が終わるような日々が心から幸せと感じているのでしょうか?
違います。100%違うと言えます。人は人を支え、支えられることで感動的に嬉しくなります。それが、かけがえのない記憶になります。人の温かさ、人間臭さが僕たちが求めている社会ではないのでしょうか?本当は誰しも、子供の頃の無邪気な童心に還りたいのではないのでしょうか?僕はおばさん達が大声で笑ってる姿が好きだし、むすっとした表情をしているおじさんが笑うところも好きです。人の笑顔が、自分の笑顔や幸せに繋がるんです。高校時代は皆で誰が先生を笑わせられるかで競っていました。人の笑顔は愛しく感じます。
高校時代の様子です↓
「人を頼ってはいけない」
この呪縛から解放するために、
「閉ざされた社会」から「開かれた社会」へ。
一番小さなコミュニティである「閉ざされた家族」から「開かれた家族」へ。
これが目指すべき社会です。
3. 大恩人の社会学者宮台さん
僕がどんなに苦しい試練が立ちはだかっても、常に前を向き、思考を巡らすことができたのは社会学者宮台さんのお陰でした。
「法(法律/規範/制度/常識)の外へ冒険しろ」
「1割の人間は社会に違和感を感じながら生きている」
こんなメッセージを画面越しに残してくれました。圧倒的に排除されていた僕からしたら、本当に救われたメッセージでした。
宮台さんは愛や正しさ、そして人間の倫理的基盤を形成するために重要なことを常に示してくれます。
僕は、宮台さんを人類史上最も尊敬しており、僕にとって大恩人の方です。
Newspicksで宮台さんの存在を知った僕は、朝から晩まで晩から朝まで、宮台さんの過去のyoutube動画を全て拝見し、本も購入しました。すぐに宮台さんに会いに行き、ゼミにも所属し、合宿にも参加しました。
宮台さんのおかげで、社会に対する違和感全てが言語化できました。
僕たちの社会は一体いつから閉ざされてしまったのか、なぜ閉ざされているのか。そして僕たちの社会はどこへ向かうのか、宮台さんから学んだ集大成の学びと僕の未来の洞察をまとめたので、最後までお付き合いいただければ幸いです。
4. 感情の劣化
私たちは定住社会になってから感受性の変化が生じました。
法ができると、人間は自分たちの感受性ではなく、法に依存し、法に従うので、感受性が閉ざされ感情が劣化してしまいます。
法(法律/規範/制度/常識)に依存する。
例えば、オウム真理教事件後に監視カメラが多く設置されると、人々は「人を殺してはいけないから殺さない」ではなく、「監視カメラに見られているから殺してはいけない」にシフトしてしまいます。
教育でも同様に、「先生に怒られるから」「周りの人に怒られるからやってはダメだ」と教育されます。法に依存し、自分の内から湧き上がる感情が閉ざされてしまっています。合理的な法に依存すると、人間は合理的な存在になり、損得化します。つまり、得ががあるならやる、得をしないならしない、このような損得人間になります。
社会の中では合理性が重要ですが、身近な家族・親友・恋人の人間関係でさえ、合理的・損得のみで結びついてしまっています。結婚市場でいうと、 男は年収が低ければ低いほど独身が多く、女は年収が高ければ高いほど独身が多い。年収に変動があれば離婚する損得婚。 恋愛を投資対効果が悪いと考える損得恋愛。 親が生命保険に入っている子供は、親の死と引き換えに、目先のお金を望む。命より金。命より損得。損得家族。 相続の際には、兄弟間でいかに自分が多くの財を手に入れるかで揉める。相手の方が生活に苦しみ、痛みがあるなら分け与えるマインドになりません。
2年前の2019年に、法・社会システムへの過剰依存振りを細かく時系列にまとめた記事があるので、興味がある方はこちらをお読み下さい。
法(社会システム)に過剰依存すると社会はどうなってしまうか?日本の社会を見渡せば分かります。
日本人は60万人以上の引きこもり、孤独死の数は年間3万人以上(1日72人以上)が体が腐敗した状態で発見されている。
最初聞いた時は本当に驚きました。しかしこれが現実なんです。日本は本当に終わっているんです。
僕たちが求めているのは、人の温かさ。仲間と暮らし、共に支え合い、人生を育んでいくことではないのでしょうか。
人間とは何か?僕たちにとって幸せとは何か?豊かさとは何か?感情が劣化しない本来の姿はどういう姿だろうか?そこを真剣に考える必要があります。
5. 損得を超えた人間の持つ潜在能力
人は、合理的ではなく、損得を超えた不合理な感情を持つ存在です。思わず体が動いてしまう潜在能力があります。
恋愛は情熱的です。『時間も場所なんてどうでもいい、会いたいから会うんだ』という気持ちになります。
仲間が困っている時も同じです。『損得なんてどうでもいい。助けたいから助けるんだ』これは鬼滅の刃の煉獄さんを見れば分かります。自分が強大な力を手に入れる鬼になるのではなく、自分の身を投げ打ってでも大切な仲間を助ける。そんな姿に僕たちは感動しました。多くの子供が真似をしました。人間は他人を思う力に感動します。助けられると幸せを感じます。損得を超えた不合理な存在だということが分かります。
(引用先 4:55~)
そんなことが出来る人はこの社会に何人いるだろうか?身近な友達に自分のために身を投げ打ってまで行動してくれる人は何人いるだろうか?
6. 家族の再構築
絶望を見つめるために日本社会の現状をお話をしてきましたが、僕は、僕たち人間が、人間的な感受性を育める道があると確信しています。それは一番小さなコミュニティである「新しい家族の再構築」です。これが、残された処方箋だと感じています。
先ず、僕の考える家族の定義はこれです。
①相手の感情を自分ごと化できる
自分が相手をコントロールするのではなく、絶えず相手が幸せかどうか気にかけれていること。 恐怖でがんじがらめにすることは愛情ではありません。本当に愛情があるなら、相手の幸せは何か気にかけます。
②常に味方でいてくれる存在
自分が社会に対して悪い振る舞いをしてしまっても、ずっと味方でいてくれる。何があっても助けてくれるような関係。 自分の存在自体を肯定してくれていることが、絶対的な心理的安全性になります。
戸籍関係はどうでもよくて、動機付けや損得を超えた意思が最重要だと考えています。
では、損得を超えたこのような感情を育むにはどうすればいいのでしょうか?これが僕が伝えたい最も重要なことです。
それは、仲間に埋め込まれる体験です。
人は、仲間に埋め込まれ、支えられ、感謝し、恩義を感じ、恩を返したくなる。
感情が行き交うコミュニケーションをした経験を積み重ねるからこそ、恩を返したいという損得を超える内から湧き上がる感情が生じます。
僕はそうでした。幼少期のころはバスや飛行機の中で知らない人の膝の上に座って遊んでいました。みんな喜んで楽しんでいたし、可愛がられていました。他の経験では、4つの小学校に所属していた経験があり、転校すると分からないことだらけだったため、周りの人が知らないことを教えてくれたり、校内を案内してくれたりしました。仲間に埋め込まれていたからこそ、人が支えてくれることを知っていたし、人の温かさを知っていました。僕は、次世代に、社会に、恩返しがしたい利他的動機があります。どんなに絶望な環境に出くわしても、例え家族から縁を切られても、この動機は決して消えませんでした。
しかし一方、仲間に埋め込まれた暮らしの経験がなければどうでしょうか?生活は基本外注。ご飯はコンビニやスーパーマーケットだけ。緊急時に困った時も人ではなく制度だけ頼る。
他人から支えられる経験がないと、感謝する感情は生まれません。すると、恩義を返したくなる内から湧き上がる感情は育まれなくなります。
先ほど紹介した記事の親を殺してしまった娘さんはまさにその状況だったと思います。家出の失敗。閉ざされた家族の窮屈さに閉じこまれてしまいました。
僕は人の温かさや外の世界の素晴らしさ、そして何より楽しさを知っていました。受け入れてくれる人がいると信じていたので、絶えず外へ出続けることができました。
改めて、子供が自分の生活環境を選べず、事件にまで発展してしまう社会は本当に残酷だと思います。近所の関わりがなくなった社会では助けを求めることができない。人を頼れない。ならば、最も小さなコミュニティである「家族」を「閉ざされた状態」から「開かれた状態」にし、個人それぞれが仲間に埋め込まれた経験が出来る社会を作ることが、重要なのではないでしょうか。
話を戻すと、仲間に埋め込まれた体験があるからこそ利他的動機付けが生じます。支えられ、感謝し、恩義を感じ、恩を返したくなる。何があっても助けたいと思ってくれる仲間や家族がいてくれることが、存在自体を肯定してくれる本当の心理的安全性に繋がります。血縁があるから良い人間関係になるのではないです。動機付けのある関係性だからこそ、先ほど定義した「家族」という関係が築けます。血縁の家族が尊いと感じるのは、幼少期に親と暮らしを育んだ記憶があるからだと感じます。僕が縁を切られて大泣きした理由もそこにありました。精神的に辛く、しばらくメンタルブレイクしていました。それでも前を向くことができたのは、人の温かさを知っていたし、先ほど定義する「家族」の関係が、血縁の家族とは別にあったからでした。
7. 生き方を自分で選択する
コロナによって、オフライン授業・海外留学が中止となりました(戻っているのもありますが)。
私たちは新しい生活様式をせざるを得ない状況になりました。言い換えると、選択することが可能になりました。これを幸運と捉えるのか、不運と捉えるのかは人ぞれぞれです。
この状況を幸運と捉え、新しい暮らしを選択する人は増えてきました。実際にFamilyinnを活用する人は、この状況を様々な形で利用する方が増えてきました。
日中はオンライン授業を受けつつ、田舎のお家に長期滞在して新しい学びを得る人。
海外留学が中止になり、地域に飛び込んで異文化交流をする人
このように、オンライン授業を受けながら、地域の暮らしを体験する、「国内留学」という形でホームステイをしています。
私たちは、場所に縛られず、暮らしを選択することができるようになりました。私たちは、今、何を選択し、どのような感情を育み、どのような社会を目指したいのか。真剣に考える必要があると思います。
本当は、
もっとダメな自分を出して、助け合いたいんです
本当は、
存在自体を肯定され、大切にされたいんです
本当は、
もっと人間味溢れる暮らしをしたいんです
本当は、
もっと仲間に貢献したいんです
本当は、
もっと情熱的になりたいんです
本当は、
世代を超えて笑い合う日々を送りたいんです
今、私たちは変われる
んです。
「閉ざされ」から「開かれ」の社会へ
8. 使命を全うする
(引用先 4:05~)
「強き者は弱き者を助けるために力を持っている。」
鬼滅の刃、煉獄さんのお母さんからの言葉です。
弱き者だった僕は、強き大人達に支えられ、強き者へと少しづつ変わっている僕の使命は、僕の力を最大限に社会に還元することです。高校2年生から7年以上、覚悟と信念はずっと変わりません。
僕は僕の人生を懸けて使命を全うします。僕個人の時間はありますが、日本社会の時間はありません。のんびりしてられない。素晴らしい人たちを知っているからこそ、諦めることが出来ません。
だが、僕だけでは何も出来ない。僕たち社会全体で未来を創っていきたい。愛と正しさのために生きれる社会を築いていきたいです。
9. Familyinn(ふぁみりん)について
最後にFamilyinnについてお話しします。
Famiylinnは、田舎・地域交流のあるお家に住む「ホスト」の空き部屋に、「ゲスト」が1ヶ月以上のホームステイを行うプラットフォームサービスです。
仲間に埋め込まれ、感謝し、恩義を感じ、恩を返したくなる利他的動機の育みまでの暮らしを体験できるよう、1ヶ月以上の長期滞在サービスになっています。地域の人を知る、地域の暮らしに参加する、暮らしに溶け込む、仲間になる、地域の人に感謝する、恩を返す。この感情の育みは、長期滞在だから可能になります。
旅の先にある世界。暮らしに溶け込んだ人の温かさ。利他的動機の育み。これが、Familyinnの最大の体験価値です。1年間滞在すると本気で人生が変わると思っています。
少しでも気になった方、下の公式LINEを追加し、是非ホームステイをしてみてください。受け入れ側のホストさん、ホームステイするゲストさん、どちらも募集しております!!
ぜひ1ヶ月からでも体験して、「開かれ」を感じてください!
【空き部屋のあるホスト希望の方はこちらから】
【ホームステイを希望するゲストの方はこちらから】
僕が群馬県にホームステイしていた様子です↓
最後までお読みいただきありがとうございました。
2021年4月18日
株式会社Familyinn代表 杉本朋哉
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