線引きをしない社会に
こんにちは!
登園拒否歴まもなく1年の年長の息子と、歴2ヶ月の年少の娘を持つ日常写真家のとぅんです😊
子供達の今と未来が【個】を尊重しあうことが出来る世の中であるようにと、写真を撮っています。
後、エネルギーね😊
物心ついたころから、”線を引く”ということに疑問を感じやすいタイプだった私。
例えば、学校に行っていない子と、行っている子を分けることや、
HSCについての発信をしていましたが、【HSC】と【HSCではない子】と分けたり、
ということも、なんでそこで分けるんだろう?と感じることがあります。
確かにそこに【違い】はある。
だけど、行ってようと行ってなかろうと、HSCだろうとHSCではなかろうと、背が高かろうと低かろうと、誰にだって【違い】はあるんです。
そして、なんなら【違い】しかないんです。
同じ人なんて一人もいないから。
だから、違って当たり前で、違う人たちが一つの社会で、それぞれの生活を営んでいて。
その違う人たちがそれぞれ生活がしやすいように、
その違う人達がそれぞれの違いを、日々の生活である社会で発揮しやすいようにするのがいいんじゃないかなぁと思っています😊
みんな違うのに、正直なところ、線の引きようもないと思う。
なのに、線を引くのはなぜ?
【みんな一緒がいい】と教えられてきたからなんじゃないかな~。
(産業制度用に育てるために、幼い頃から公教育というものを使っていたんだって)
そんな生産性を上げるために、小さなころから、
時間を守ること
命令に従順なこと
反復作業を嫌がらないこと
ということを植え込む必要があったそうな。
みんな一緒がいい。は、命令に従うように植え付けられた感覚なんだろうなぁ。
反復作業を嫌がらないように、みんな一緒の事をしているっていいよね!と植え付けられたんだろうな。
時間を守ることもそうなんだろうね。
そして、それに逆らうものは【違う考えを持つもの】として、除外していくために、【線を引く】ということをしているのかなと思う。
だって、線なんてひかなくて、みんな違って当たり前なんだから、
【みんなが暮らしやすいように】を考えて方がよっぽどいいのにさ。
【違う側のレッテルを貼られた人】は、うしろめたさを感じるようになってるのかもしれない。
そういったことが、マジョリティとマイノリティとわざわざ分けて、マジョリティを優位に感じさせ、なるべくマジョリティでいることが【良いこと】みたいになってしまってるのかなぁと思います。
マジョリティが【善・良】で、マイノリティが【悪・不良】みたいなの、めちゃくちゃある。
日本もまだまだ全然マイノリティ差別みたいになっているなぁと思います。
そこ、線引く必要ないですよね。だって、本来はみんな【違う】んだから。
そして、線を引いて社会から排除するような感覚があるけれど、
どの人の日々の生活・営みも含まれているんですよね。
みんな同じ社会に含まれてる。
子供達は社会に出ていくのではなく、既に社会の一員。
それぞれの【違い】を認め合え、尊重しあえる世の中であってほしいなと今一度感じた日でした。
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