『二十八』
キーワード:心、病、命、物語
文字数:14000字 執筆期間:9月~11月の100日間 返金対応可
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人生で初の試みとして、100日かけて一つの作品を書いてみました。
10000字に収めるつもりが長くなりました。
収まらない程の、complexでした。
令和元年11月11日 ..梟.._
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プロローグ
私は生まれてこの方ずっと愛知に住んでいる。
頻繁に行くわけではないが、名古屋市内に思い入れのあるバーがある。
暗がりで落ち着いたイメージのオーセンティックバーとは異なる。
狭いカウンターの中に岩城滉一似の渋いマスターが一人と、
マスターが読んできた大量の本が壁一面に並んでいる、味のあるバーだ。
恩師が教えてくれた店である。
先生はバーでも居酒屋でも、大衆的でレトロな雰囲気を好む人だった。
これから書くのは、
どこまでも個人的な話で、私の思い出語りに過ぎない。
私にとって“先生”がどういう存在で有り続けたかをいつか綴りたかった。
人生の終わり際にでも書きたかったことだが、
自分の寿命なんて分からないので、今書いておこうと思った。
全て書き終えて、今この段落に戻ってきている。
noteを始めたのは7月末で、この記事はその頃から下書きしてあり、
最初はすぐに投稿しようと思ったが、
私にとって一番大切な思い出であったために、
100日という時間をかけて取り組んでみることにした。
すると、最初は恩師との思い出を書いていたつもりが、
終わってみれば私の物語にすり替わっていた。
私の病のことについても触れている。
ところで病のことについて書くのは気を遣う。
もしも自分の言葉で他者を傷つけたらと思うと怖くなるし、
その覚悟がいつも以上に必要だった。
時代や場所を問わずおよそ一定の割合で発症する病なので、
いまこの瞬間にも苦しんでいる同じ病の人が世界中にいる。
もし気分が悪くなったら閉じていい。
誰にでも、読みたくないものを読まない権利がある。
どんな書き方をしたって、
不幸自慢に映る場合や希望の押しつけに映る場合が有り得るし、
他者のものの見方は思い通りには操作できない。けどそれでいい。
現実は裸眼で見るにはあまりに眩しく、醜く、または美しすぎて、
ある程度はフィルターと錯覚に助けられて、
みんな生活をしているのだから。
私は人に向けた文章を書くときは、
どうも綺麗にまとめたがる癖がある。
誰も傷つけたくないし、自分も傷つきたくないからだ。
でも普段は抑圧されているだけで私の内面にも鬱屈としたものは確実に漂っているし、
抱えている事情も、きっとこの社会に生きている多くの人と同様にある。
私は何より自分の心というものが、長い間よく分からなかった。
そして私の内面で起きていることも知らずに、
安易に他者から理解されることが恐怖だった。
言葉も外見もすべては切り取りだ。
私は言葉の便利さを知りながら、
それが洗脳に使われることもどこかで学んでいた。
私は私のダークサイドを投稿するこの日のために、
3ヶ月半noteで仮面を被ってきたのだろうか。
それも一部真実だと思う。
気分の荒波と情動の点在は、
容易に単一のアイデンティティをつくらせてはくれなかった。
嫌われるのも、他者の心に点火するのも怖いけれど、
私の属性に色があるとすれば決して暖色ではないのだろう。
でも漆黒でもない、そのグラデーションを表現していきたい。
今では、人生でのこれまでの全ての表現は、
表であり裏であったと思う。
結局のところ、一番は何が言いたいのかは自分でもよく分からない。
積極的に伝えたいことなど、書き始める前は別になかったのかもしれない。
それでも気づいたら、今までで一番の長文になっていた。
『二十八』
..梟.._
朝は夢と現実を入れ替えることから始まる。
もうずっと、
眠りにつけば夢を見ないことがない。
多分、10年くらい。
自分にしか見えない世界。
夢ほどワケの分からない映像はない。
心という領域があるとしか考えられなかった。
それなのに、
夢占いの類も、夢分析の本も、
視界に入れることを拒絶した。
説明なんてされたくなかった。
知ってしまったら何かが終わる気がした。
心については自惚れていた。
分かられてたまるものか。
俺の心は俺が考えるから待っててくれと。
“心について考え抜いてから死にたい。”
これから語るのは、
私と“先生”と心と命についての話。
極めて自己中心的な私の物語。
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