「オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム」は令和最高のメディアミックスエンタテインメントショウだった
1999年苗場スキー場で行われたフジロックフェスティバル。当時の国内外トップアーティストが出演しのべ10万人を動員した野外フェスで、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの1万人モッシュピットや、アンダーワールドのオーディエンス全員のハンズアップを観た私は、「みんないったいどこにいたんだよ!」と圧倒的マイノリティのロックファンが一堂に介したことに心の底から感動した。
あんなに多幸感に溢れたイベントに出会うことはもうないと思っていたら、25年後の2024年2月18日に出会ってしまった。「オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム」だ。
私が「オードリーのオールナイトニッポン」を聞き始めたのは、2023年の春頃。まだ1年も経たない初心者マークのリトルトゥースだ。そもそもオードリーを意識して追いかけ始めたのは、2年くらい前のテレ東「あちこちオードリー」からで、もちろんオードリーは知っていたしラジオのことも知ってはいたが、追いかけるようなことはしていなかった。ただ、若林さんが2018年に「ナナメの夕暮れ」を出版したとき、そのタイトルがすごく印象に残っていたのは、フラグだったのかもしれない。
社会人になって20年以上が経ち、仕事や家庭に大きな閉塞感を抱えていたところでコロナ禍に突入した。大変な時代ではあったが、なぜか自分にとっては人生の余裕や余白が生まれたタイミングでもあった。そんな時に見始めた「あちこちオードリー」は、ただのトークバラエティではなく、自分と同世代のオードリーのふたりがゲストと織りなす人生論や仕事論として心にとても響くもので、いつしか「ガキの使いやあらへんで」「有吉の壁」「出川哲朗の充電させてもらえませんか」「ゴルフ侍」に続く自分の録画リストに加わっていた。
そして2023年春、YouTubeである告知を目にする。「オードリー若林の東京ドームへの道」での「オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム」開催発表だ。「東京ドーム」という夢のような目標を現実にしようとしている若林さんと春日さんをみたときが、リトルトゥースになった瞬間かもしれない。そこから毎週ラジオを聴くようになった。タイミング的には「だが、情熱はある」の影響も強かったと思う。若林さんと山里さんの「たりないふたり」はその存在すら知らなかったが、この頃から明確に意識してオードリーを追いかけ始めるようになる。
あまり公に語られることはないし褒められた行為ではないが、一部ラジオの過去放送回は権利者の黙認によってYouTubeで聴ける状態にあり、私のような後発組でも容易に追いかけることができる。ありがたいことに、先輩リトルトゥースの方々が聴きやすく切り出したり編集したりしてくれている。さらにオードリーや若林さんは「オドぜひ」「しくじり先生」「激レアさん」などでの公式コンテンツも数多く上がっていて、YouTubeおすすめのアルゴリズムで次々にサジェストされる。当然それらも面白く魅力的だ。
私は映画をみる習慣がないので動画サブスクサービスには無縁だったのが、「LIGHT HOUSE」を観るため初めてNETFILIXを契約した。勢いHuluも契約して「たりないふたり」も、U-NEXTで「あちこちオードリー」のアーカイブも見まくった。こんなに情熱をもって何かを追いかけたのは、社会人になってから久しく無かった。99年フジロックに行っていたころ以来、なにかを取り戻しているような感覚だった。
芸人として、タレントとして超一流のオードリーは、YouTubeでもサブスクサービスでも既に超一流だった。私のなかでなんとなく引っかかっていたオードリーへの興味は、ある日のちょっとしたきっかけから、ネットの力でぐるぐると増幅され、どんどん熱を帯びていった。そしてその核にあるのは、「オードリーのオールナイトニッポン」というラジオであることもよくわかった。意図的ではないかもしれないが、オードリーは、ラジオ、テレビ、ネット、全てのメディアを全方位でカバーしている稀有な芸人だった。オードリーの東京ドームへの道は、テレビとラジオという電波の力と、熱量を増幅させるネットの力のメディアミックスで既に開かれていた。
後出しな話かもしれないが、オードリーはそうしたメディア全方位の状況ができていることと、5年前に武道館を埋めている実績を考えれば、ドームチケットは高倍率必死と思っていた。だが、遠慮深いオードリー(特に若林さん)とチーム付け焼き刃の皆さんは、最後まで本当に埋まるかどうか心配されていたようだ。結果、私は幸運にも1次抽選でスタンド席を取ることができたが、外れてしまった先輩リトルトゥースのみなさんのことを思うと、本当に申し訳ない気持ちでもあった。
イベント当日は、事前に買ったLTキャップを被りLTパーカーを着て、お昼過ぎには東京ドームへと向かった。野球は何度も観にいったことがあるが、開演の5時間も前に行くなんてことは初めてだった。水道橋駅から東京ドームの22番ゲート付近に着いたとき、オードリーやチーム付け焼き刃ののぼりがはためくなか、とんでもない人数のLTグッズに身を包んだ笑顔のリトルトゥースたちをみて「みんないったいどこにいたんだ!」という99年フジロックで感じた多幸感を思い出した。
席は、1塁側ベンチから8列目くらいの野球だったら最高の席だった。バックスクリーン側にステージがあって、そこからセカンドベース付近に向かって花道とセンターステージが配置されていた。演目は、普段のラジオの構成をベースに、全てに理由と流れがある洗練されたもので、若林さんはじめスタッフの深い熟慮と圧倒的なセンスを感じるものだった。
15年という時の流れをとにかくエモく感じさせてくれた「おともだち」ウェルカムムービー。トーク傑作選に載っていた2021年8月のトークをそのまま実現したような二人の登場(西武ドームではなかったが)。いい意味でいつも通りのオープニングトーク。驚愕エピソードを仕込んできた若林さんとその若林さんを驚かせたい春日さんそれぞれのトークゾーン。若ちゃん大暴れ大開放チェ・ひろしのコーナー。フワちゃんと春日さんの圧倒的タレントパワーとサトミツさんの的確すぎるコメント力そしてグレゴリーボムに感嘆したプロレス。ビタースイートサンバに合わせて過去放送回のキラーフレーズサンプリングを聴かせた若林さんのDJプレイ。2021年9月スペシャルウィークでの「また遊ぼう」を東京ドームの舞台で実現した星野源さんとの「Orange」と「Pop Virus」の5万人スマホライト。カラテカ矢部さんネタでドームが揺れたしんやめ。ラジオブーストロッコでドームを一周練り歩いたエンディング。そして漫才史上最長の袖からステージの間で流れた「SHOWがはじまるよ」と全ての人への感謝と自己肯定に溢れた魂の漫才。
16万人のリトルトゥースたちとともに見届けることができた「オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム」は、舞台、テレビ、ラジオ、ネット、エッセイも含めていいかもしれない、オードリーのふたりと彼らのチームが全てのプラットフォームで積み重ねてきた経験を全て披露した令和のメディアミックスエンタテインメントショウだった。若林さんは最後「みんなのお守りになれば」と話していたが、お守りどころではない、とんでもない「宝物」を受け取った気持ちだ。
私は、オードリーのトークに、心をどこかに連れていってくれる「日曜日の使者」感に魅力を感じている。そこに同世代としての共感もあるし、彼らを支えるチームが熱量高く同じ方向で「エンターテイメント」という仕事に臨んでいるようにみえるのが羨ましくあったりもする(もちろん日々大変なんだと思うが)。
東京ドームの次は、ドームツアーか国立競技場か野外10万人かとスケーラブルな目標を置くのもいいが、まずは「続けること」「変わらないこと」で、私たちを長く長く楽しませ続けてほしいし、人生を歩むときの側に居続けてほしい。土曜の夜をはじめ全てのフィールドで、オードリーが健やかに続いていくことを願う。
オードリーのオールナイトニッポン15周年、本当におめでとうございます。
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