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つ レ ズ れ 草 #4 by.式部:「ええカッコしい」についての考察

こんばんは、式部です。
「夜中に書いた手紙はそのまま出すな」とは言いますが、現在午前2時。まさしく丑三つ時というやつですね。(夜型なので深夜の静けさが好きです)
ド真夜中の日記もとい納言への手紙ですので、後に燃やす可能性があります。あしからず。

さて先日の私からの質問、真摯に答えてくれてありがとう!サクッと答えられる、ふんわりした球を投げたつもりが、納言のみぞおちにクリティカル・ヒットをかましてしまったようで、申し訳なかったわ。。

自己評価として使ってた「ええカッコしい」なんだけど。私が読んでて思ったのは、多分納言は「ええカッコ」するために、弛まぬ努力ができる人なんだろうなと。もちろん人生の中でいつも上手くいくわけはないし、運の部分も多分に含まれるとは思うんだけど…

一般の多くの人(私も含め)も納言同様に、みんなもちろん「ええカッコ」はしたい訳です。でもどこかの瞬間で、自分の力が及ばず「カッコ悪い自分」が露呈しちゃう。そうなると(恥ずかしいけど)開き直るか「てへぺろ」って言って、誤魔化すしかないんだけど。

納言は多分その「てへぺろ」な瞬間を今まで、類稀なる努力でカバーできてしまったのではなかろうか?(私の勝手な推測だけど)「努力も才能のうち」とはよく聞く言葉だけど「才能」なんて言葉では、表現できないくらい
本人の不断の努力があるからこそ「ええカッコ」をキープできるわけで。

それはもう「ええカッコ」ではなく、普通に「カッコええ」でよくないかな?と。式部は単純に、そういう「努力ができる人」をカッコええなぁ!と思います。


前回の納言の日記で書いてた「比較するなら他人ではなく、過去の自分と」って、私なかなか良いこと言うわね!過去の式部、GJ。
確かに納言の言う通り「他人の目や他人からの評判」という定規は、あまりにもあやふやで心許ない。人の考えてることや評価なんてコロコロ変わる上に、何なら定規ですらない可能性もあるし。

納言からの質問「人に〇〇と思われたい…と思ったり、××と思われてしまった!と凹むことはありますか?」への回答にも絡んでくるのだけど、もちろん式部にもあります。多分「ええカッコ」したいとか「認められたい」とかって、多かれ少なかれ人間なら誰しもが抱える感情なのではないかな?
「虚栄心」とか「承認欲求」という言葉に置き換えると悪いものみたいだけど、そういうものが行動の原動力になる部分もあると思う。ハサミやナイフの様な諸刃の刃。

うまく使えば自分を高めてくれたりパワーをくれるけど、使い方を誤ると自分自身をもズタズタにする。そんな刃を使いこなすのにはルールがあると思っていて。それは「刀は自分で握って、使うこと」= 自分の視点から、自分の尺度で物事をみること。自分自身(未来/現在/過去の)を尺度とすること。

対峙する幕府(他人)に刀を渡すと、ろくなことが起きないのは明白で。
幕府の都合の良い様にズタボロに斬られることもありますし、なんなら対峙していると思ってた相手がただの自分の妄想の可能性だってある。


実は式部も最近、外出自粛の疲れもあってかそんな幕府的ミラージュに心を蝕まれていたのです。「こりゃダメだ!」となり、数日前に妹と電話で話をしていた際、今書いたこと↑を思い出しました。
刀で自分を傷つけたり、幕府に刀を握られてなんだか頭がモヤモヤしてきたらこの合言葉を思い出してください「それ、妄想じゃない?」

過去の自分自身と比べてモヤモヤした時は、成長の証なのでOK。
でも、もし定規が幕府の手に渡ってる予感がしたら思い出して。

「それ、妄想だよ?」

私も幕府に討伐されない様に、上記合言葉を胸に
しばしコロナ禍を乗り越えますわ!


式部から納言への質問:周りには反対されたけど、こっそりやってみた事(やってみたい事)ってありますか?

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