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二丁目忌行文 ~虹色奇々怪々~
【透明人間】其の参
僕がついていったのは、墓地に隣接する雑居ビルだった。
メインストリートから、一本入った路を東京メトロ新宿御苑駅方面に向かう途中にあるビルだ。
ここに到着する途中、全裸の僕のことは誰も見ないが、並んで歩くモテ筋男子は何度もチラ見をされていた。しかもチラ見をしている相手もヒエラルギーの上位にいる短髪のガチムチタイプが多い。
もろちん、僕のことは眼中にない。
───呪われてしまえ。
呪詛のように声に出さずに唱える。
その途端、僕の傍らでモテ筋男子に不躾な熱視線を投げつけていた短髪のガチムチが「うっ」と胸を押えると、苦しげな表情を浮かべ、路上に膝を付いて嘔吐した。
え!? なんだ? 飲みすぎ? みっともない飲み方だな。どうせ似たような風貌の仲間たちでテキーラを飲みに飲んだんだろう。
僕の大嫌いなノリだ。
そんな風に思っている間に、この雑居ビルに到着した。
「ここ、ここ」
と、モテ筋男子が指さしたのが、墓地に隣接するビルだった。
誘われるままに、僕はビルの階段を地下に向かって降りて行く。
地下へ向かう途中の踊り場。蛍光灯がチカチカしている。
それが不気味さを醸し出しているなと、僕が思っていると、モテ筋男子が足をとめてこっちを見た。
「これ新品。買ったばっか。交換したばっかなのに、ポケモンショックかよってくらいチカチカ」
ときどきよく分からない例えを挟むのはなぜなんだろう?
僕にはまったくなんの例えなのか分からないんだけど……。
「換えても換えてもすぐにチカチカ。墓地の隣だし。地下だしね」
「………」
蛍光灯のチカチカと墓地になんの関係があるんだろう? 地下とか関係ない気もするけど。モテ筋の思考はよく分からない。やっぱり僕とは違う人種だな。
「地下ってことは……」
「………」
え? まだその話を続けるの? 僕にまだ話を続けるの?
言ったらあれだけど、僕全裸だよ。
モテ筋男子は墓地に近い壁を静かに指さす。
「骨壺と近いってことじゃん。その影響だと……なんてことはないか。このビル、古いから。老朽化だから。電気系統がイカレてるから」
と、踊り場から地下に降りて行く。
別についてゆく必要もないけど。こんな僕を誘ってくれたんだからついて行ってもいいかなという気分になっていて、素直についてゆく。
踊り場同様、蛍光灯がチカチカと不気味に点滅を繰り返している陰気臭い地下フロア。このフロアには3つほどお店があるようだが、その内の2つは看板すら設置されていないので、空き店舗ということだろう。
唯一、点灯している『ナナシ』という看板が掲げられているドアの下でモテ筋男子が立ち止まった。
ナナシ? 変な名前のお店だな。
そんな僕の思いを感じ取ったのか、モテ筋男子が答える。
「俺の店では名前は聞かないわけ。だからナナシ。」
「………」
「名前なんて単なる記号。ここじゃ君自身を出して楽しめばじゃん」
と、笑顔で店のドアを開けると、手招きをする。
僕を先に店に入れるとモテ筋男子は静かにドアを閉める。こんな風にエスコートされるのも初めての経験だ。お店から帰るとき、マスターや店子に義理でお見送りされたことはある。本人たちは気づいてないだろうけど、義理でいやいやお見送りしていると相手に伝わる。
見送りされるたびに僕の感情はドロドロに濁ってゆくのを感じていた。
「好きなトコに座って」モテ筋男子がいう。
じめっとした店内。7人ほどが座れるカウンター席。ソファーを置けばボックス席として何人か座れるであろう場所を潰してまで、置かれている古びたジュークボックス。
若い子は知ってるのだろうか? ジュークボックス。
100円で一曲、音楽を聴くことができる機械だ。
しかも音源はレコード。アナログ盤だ。
壁に設置された棚には古い映画のVHSが収められている。さらにカウンターの隅には黒電話が置かれている。
時代が完全に止まっている。そういうコンセプトのお店なのだろうか?
「なんか飲む? っていっても、そのカッコじゃ財布ないか?」
モテ筋男子は楽しそうに笑う。
確かに。僕は全裸で荷物すら持っていない。
あれ? 僕はどうやって二丁目まで来たんだろう? 徒歩圏内には住んでいない。
「まぁいいか。のんびりしてって」
僕がカウンターの端に座ると、おデブな男子がいることに気づいた。
店子さん? 身長は165センチくらい。体重は95キロくらい。色白。普通の長さの黒髪。寝ぐせではねた髪。黒縁メガネ。いわゆる文化系デブだ。デブ専業界ではかなりモテるタイプだと思われる。
「留守番ありがとうね」
モテ筋男子もカウンターに入ると、笑顔でモテ筋デブにお礼をいう。
モテ筋デブが柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
たぶん2人は付き合っているのだろう?
今の柔らかい笑みを見れば分かる。
幸せそうなカップルを見ると、ドス黒い感情が渦巻く。
僕には決して訪れない幸福感。誰にも見てもらえない日常。
───呪われてしまえ。
再び声に出さずに呪詛のように唱える。
そのとき、モテ筋男子が僕に名刺を差し出した。
「名無しはお客さんだけ。それが俺の名前」
黒い名刺には白い文字でお店の名前と、モテ筋男子の名前が印刷されていた。
モテ筋男子の名前は【行道零(いくどうれい)】らしい。
零くんは僕をまっすぐ見つめて、おもむろにいう。
「君、このままだとマズイ感じだよねぇ~」
「………」
マズイ? なにが?
「さっきもマジでヤバかった。あの彼、死ぬ50歩手前だったじゃん」
死ぬ? 誰が? 零くんの話はどれも唐突で予測がつかない。
「人を恨まば穴二つ。いっぺん死んでみる……って感じ」
「………」
「あれ? 知らない? 『地獄少女』ってアニメ」
「………」
「もしかして実写派? 珍しいね。どっちどっち?」
どっち? どっちとは? なにを指しているんだろう?
困惑する僕に零くんは顔を近づけて、笑顔で同じ質問を繰り返した。
「ねぇどっち? 岩田さゆり? 玉城ティナ?」
「………」
「え!? もしかして舞台派? 荒井萌? 違う。今、芸名変わったんだっけ? なんだっけ新しい芸名」
「………」
「すげーマニアックじゃん」
零くんが楽しそうに笑っている。
なにがそんなに楽しいのか分からないが、僕を相手にこんな風に楽しそうに笑ってくれる人はいなかった。僕だって、こんな風に楽しく二丁目で過ごしてみかたった。恨みがましい視線を送ったり、恨みつらみを胸の奥底に貯め込みたくなんかなかった。
今のそんな感情ばかりを貯め込んだままじゃ地獄に落ちるってことを、よく分からないアニメに例えて諭してくれたのだろうか?
「ねぇそんなカッコで仲通りにいたってことはさ」
「………」
「見られ好きなわけ? その願望が叶ったら、行くべきところに行けるのかな?」
「………」
願望が叶う? 叶うわけがない。
そんなことは分かり切っている。仲通りという目立つ場所に全裸で立っていたのに誰も僕のことを見なかった。目さえ合わさなかった。
50を過ぎたら透明人間。そんな言葉が僕の脳裏を再び駆け巡った。
そもそも行くべきところに行けるってどういう意味だ?
「よし決定! おっぴろげって感じでいこう!!」
「………」
「仲通りに戻るよ! イッツ・ショー・タイム!!」
零くんは黒電話に手を伸ばすと、ダイヤルを回し始める。
なにが起こるんだろうか? 不安げな僕はモテ筋デブと目が合った。
モテ筋デブは、無表情のまま、静かに頷いた。
それだけのことなのに、僕は少しだけ安心できた。
其の四へつづく。