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のようである、ではなく。
ぼやかして書いてはならない。
もはやなぜそう思うようになったのか忘れてしまったが、編集者の端くれとして、意識できるときはするようにしている。
〜のようである。
〜とされている。
〜と言われているようだ。
これらの言葉は、本当に事実が確認できないに使われるときもあれば、単純に自分の意思を強く示したくなかったり、自信がなかったりするときにも使われる。
ほんのりずるい言葉なのだ。
〜らしいよ。「わからんけど。」
〜らしいよ。「自信ないけど。」
いつからこんな言い訳ばかり語尾につけてしまうようになったのか。
気づくと発せられているその言葉に、自分で自分にぞっとするときがある。
一度身についた習慣は、よくも悪くも無くしにくい。
一度ずるさを身につけてしまうと、ずるい人間になってしまう。
そんな風にではなく、どこかでどっしり自信があるような。
そういう意思の示し方をしたいものだ。
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