第五十二回 日本野球学会第2回大会 ポスター発表要旨(2024年10月22日)
前回の投稿以来、特に書きたいと思うような事柄もないので放置していましたが、12月末に仙台で開催される日本野球学会第2回大会で発表するポスターの準備をしているうちに、発表内容のちょっとした予告を書いておこうかという気になりました。
1.日本野球学会について
日本野球学会は数年前に設立された新しい学会です。日本野球学会のWEBサイトによると、前身は日本野球科学会で次の様な趣旨で発足したとのこと。
「 日本野球学会は、(1)野球競技に関する科学的研究を促進すること、(2)会員相互および内外の関連機関との交流を図り親睦を深めること、(3)指導現場と研究者間での情報の流動性を高めることにより、野球に関する知識・情報を収集し普及させ、野球の発展に寄与することを目的とした団体です。この学会において、会員相互の交流を図り、実践レベル、研究レベル、運営レベルなど、さまざまなレベルで討論を交わすことにより、上記の目的達成を目指します。」(日本野球学会HPから)
特に(3)に惹かれて入会しました。
実際に高校生が発表していたり、プロや社会人のプレーヤー達も参加しているとのことでもあり、理論を実践に活かそうとする意気込みを感じます。SABRとの違いは、研究内容が比較的力学やバイオメカニクスの比重が高いところでしょうか。
さて、この日本野球学会が12月末に仙台で第2回学会大会を開催します。
昨年の記念すべき第1回大会はインフルエンザで参加できなかったので、今度こそ参加しようと思っています。第2回大会についての要旨を貼っておきましょう。
日本野球学会 第2回大会
2. 「捻りモデル」からの提案(ポスター発表)
第2回大会で予定している発表についてですが、捻りモデルの打撃動作から得られる考察から、学会の趣旨である(3)「指導現場と研究者間での情報の流動性を高めることにより、野球に関する知識・情報を収集し普及させ、野球の発展に寄与する」に貢献すべく、研究者と選手/指導者それぞれに対して提案するという事を考えています。
a) 研究者に対して
・ バットスピード編重の見直し
日本の学界では、相変わらず打球速度はバットのスイング速度だけに依存し、ボールに対して力(力積)は作用しないという学説が主流です。
しかしこのブログでずっと紹介してきたように、MLBはもちろんNPBにおいても、バットのスイング速度最大になるように打っている選手は見当たらなくなってきました。バットのスイング速度のみ考察する回転モデル理論は、実際に合っていないと考えます。
第四十九回から五十一回で紹介しましたが最近のMLBの考え方も、係数をいじることで測定値を無理矢理に実際に合わせ込もうとしているようにも見え、バットのスイング速度だけで打球速度が得られるとする今までの理論は修正する必要があると考えます。実際の動作に合っていない理論で研究を進めても研究は発展していかないではありませんか。
この機会に、バットのスイング速度のみに基づいた打撃理論の見直しを提案しようと思います。
b) 選手/指導者に対して
・ 力学に基づいた打撃動作の検証
スポーツにおいて各動作の感覚的な表現は重要な要素ですが、感覚は主観的で各人の体のつくりによっても違いが生じます。
例えばボールを持ち上げて離した時に、個人の差によってボールの落ち方が変わるということはありません。
野球動作も力学的な動作であることから、ある条件下(例えば140km/hのど真ん中の速球を、ある理想的な体の選手が打つとして)で力学の観点から理想的な打撃動作は、ただ一つしかありません。しかし感覚に基づいた指導だけに頼ってしまうと「コーチの数だけ打ち方がある」などということにもなりかねず選手は混乱してしまうでしょう。
捻りモデルの打撃動作をたたき台に、感覚的な表現を力学の観点から解釈していくアプローチを提案しようと思います。
これら捻りモデル研究に基づく提案が、指導現場と研究者間での情報の流動性を高めることに貢献できれば良いと思います。議論が荒れるだけかもしれませんけど。
3.発表に向けて
私の希望としては、研究者の方々だけではなく高校、大学、社会人、NPBなどで実際にプレーしている方々や、野球の指導に関わっている人たちと動作の感覚的表現についても意見交換できればと思っています。
動作の感覚的表現は、それだけで大学の専攻があるくらいなので大切な要素なので、「こんな感じ」という感覚について、よりプロに近いレベルの高い方々の意見が聞ければ面白いと思っています。
高いレベルでプレーする選手達の感覚を力学的に理解しようとする試みることで、バットのスイング速度だけで打っていると考えるのが良いのか、それともボールは、バットを通して選手に衝突(力を作用させる)していると考えるのが良いのかも、はっきりしてくるでしょう。
しかしまあ誰か、そんな都合の良い人は来ないでしょうけどね。