後輩が探偵会社に依頼して女性の連絡先を手に入れた日の話
「とりあえず、ペッティングをしました」
僕の通っていた大学のスローガンは「普通じゃないが、普通」だった。
だからと言って異常性の高い人間がたくさんいるわけではなく、基本的には普通なんだけど一部のネジが外れてる人が多かったように思う。
僕はそういう人たちが大好きでよく関わっていたので、価値観が少しバグってしまった。今思えば、社会にはあんまりいないタイプの人間が多かった。
「バイト先に、いい感じの子がいるんですよ」
大学生の頃、普通じゃない後輩の藤田は僕に会うたびに恋愛の進捗を報告してくれた。
「初めて、人を好きになりました」
「とりあえず、連絡先交換しました」
「とりあえず、今度ご飯行ってきます」
「とりあえず、ペッティングをしました」
ペッティングという言葉を実際に耳にするのも初めてだった。何がとりあえずなんだろう。初めて人を好きになった人がどういうロジックでペッティングだけしたんだろう。
「前より、ラインの返事が来なくなりました」
「その子、バイト辞めるらしいです」
「携帯変えるから、ラインとかの連絡もつかなくなるかもって言われました」
彼女との接触の頻度が下がることと反比例するように、僕への報告の頻度が上がっていた。おそらくペッティングのせいだろう。
「バイト辞めて、ラインが消えました……」
学食には絶望した様子の男がいた。
「僕はどうすればいいですか?」
藤田から逃れたくてそうしたのかはわからないけど、LINEをブロックとかじゃなく削除してるわけだから、彼女の意志はかなり固いのだろう。
コイツは僕にさえLINEがしつこいから、多分だけどすごく嫌がられてるんだろう。
「もう1回会えば、絶対付き合おうってなるはずなんです」
根拠が無くてすごく怖かった。
「探偵会社に、依頼すべきですかね」
僕は本気と思わず、ケラケラと笑って見過ごしてしまった。
翌週、学食には真剣な様子の男がいた。
「探偵会社の人が言うには相手の電話番号か住所、どちらかしか保証出来ないそうなんです」
藤田は本当に探偵会社で相談をしていた。もう普通じゃなさすぎる。行動力のゲージが振り切れている。
探偵ならどちらかわかれば両方いけそうなものだが、藤田が支払える料金だとそれが限界らしい。
この「電話番号か住所どちらかしか渡せない」という条件、その後どれだけ調べても前例みたいなものが無い。何か騙されているのか、探偵の勘で藤田を警戒しての行動なのかはわからない。
「電話番号さえ手に入れば、そこからLINE繋がれると思うので、賭けに出るしかないですよね?」
しかないことは絶対に無いと思うんだけど、止めた方がいいことは間違いないのでやんわりとリスクを説明した。
住所だったらどうするのか、行ったら最悪捕まるぞと、電話番号手に入れてもLINEの設定次第では出てこないし、消してるくらいだからその可能性の方が高いぞと。
まだ正式に依頼していないようだったので、なんとか止めれたらいいと思った。
藤田は一瞬顔を俯かせた後、僕に真っ直ぐな瞳を向けた。
「……でも何もしなかったら、ずっとこのままじゃないですか!」
ああ、この人は何を言ってるんだろう。どうして僕が責められてるんだろう。
「決めました。やれるだけやってみます!相談乗ってくれてありがとうございました!」
怖かった。なんか責任の一部が僕に付与された感じも怖かった。
もし藤田の認識しているペッティングが一方的なものだとしたらとか考えたらすごく恐ろしい。僕はとんでもない獣が解き放たれるのを見過ごしてしまったのではないか。
しばらく経ったある日、教室塔の廊下に呼び出された。
藤田は僕を見ると小走りで駆け寄り、隅の方でカバンから封筒を取り出してきた。
「これが、手に入れた情報です。さっき、購買で便箋も買ってきました」
奇しくも住所の方を手に入れた藤田は、手紙をしたためることにしたらしい。
「こんな感じの文書でいいですかね……?ちょっと添削してもらえると嬉しいです」
そのままWordを見せられた。内容自体は連絡先が書かれた真っ直ぐなラブレターだったんだけど、過去にペッティングだけした相手から連絡先教えてないのにこれ送られたらめちゃくちゃ怖いだろうなと思った。
そのことをやんわり伝えてやめときなよと諭すも、藤田は一切聞いていない様子だった。
「いや!考えたんですけど逆に住所で良かったです!手紙に僕の電話番号を書けば、両方手に入るからこっちの方がお得じゃないですか!」
どうしてこんなにポジティブでいられるんだろう。なんで向こうが恐怖の手紙から連絡する前提でいられるんだろう。
「マキヤさんはその子のこと知らないじゃないですか、否定するのはおかしいですよ」
この期に及んで正論みたいなものをぶつけてくるコイツに、僕は何を言ったら良かったんだろうか。
「だって電話番号だったら、電話して住所聞かなきゃいけなかったんですよ? 探偵会社は、難しい方を取ってくれたんですよ」
もうわかんなかった。どのようにしたってストーカーだ。手紙を出して連絡が来なかったら絶対家に行く気がする。その時コイツを止めれるのか僕は。
無理だろう。ストーカーに理性的な説得は困難だと医学書に書かれていると聞いたこともある。
コイツがここまでポジティブなのは、相手がまだ自分に好意があると考えているからだろう。
ならば、その幻想が打ち砕かれなければならない。その為には連絡が来ないくらいではダメだ。届かなかったかもしれないとかの夢を見てしまう。
基本的には普通の奴なんだ。相手から「好意が無い」という意思をちゃんとぶつけられればなんとかなる気もする。もうここまできたら返信が来ることが正解なのかもしれない。
僕は構内のポストに投函される便箋を見送った。
「連絡、来るといいな……」
「はい!」
いみじくも、連絡が来ることを一緒に祈りながら。
翌週、目に光の無い藤田がベンチにいたので、声をかけ隣に座った。
彼は僕を一瞥すると、うつむきながらスマホを操作してLINEを見せてくれた。
これは実際のスクショではないんだけれど、僕が記憶の限り再現したものになる。
ストーカー対策に有効な1つの手として「『1度だけ』『ハッキリと』『感情を込めずに』拒絶の意思を伝える」というものがある。
この子は見事、完ぺきに打ち砕く返信を送っていた。
「さすがに、諦めます……」
藤田は拍子抜けするほどアッサリと諦めていた。よかった、と心から思った。
最初から異常な人ってかなり少ないと思う。みんな基本的には普通にまともな人間で、だから仲良く出来ている。何かの拍子に、どこかのネジが外れる。でもそれはみんなそうなんじゃないかと思う。社会ではそれを上手く隠せてる人が多いんじゃないかな。
とにかく何事も無かったこと(恐怖の手紙はあったけど)に安堵しながら適当に励ましていると、教室棟に掲げられたスローガンが目に入った。
「好きな子のこと知りたいって思うのは、普通ですよね」
それ自体はねって答えた。