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計り知れない恩寵の下で(スピリチュアリズム考④)

 スピリチュアリズムの実践ということに思いを巡らせていると、「本物の信仰とは?」について考えることになる。それが「壁」という感触を抱く感じもある。あまりに自分の行動と心持ちの「情けなさ」に愕然がくぜんとし、どうしようもなくなる瞬間である。

「宇宙の大霊は無限の存在です。そして、あなた方もその大霊の一分子です。不動の信念をもって人間としての正しい生活を送れば、きっとその恩恵に浴することができます。このことに例外はありません。いかなる身分の人であろうと、魂が何かを求め、その人の信念に間違いがなければ、必ずやそれを手にすることができます。

シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来
「2章 蒔いたタネが実りをもたらすのです」から引用

 祈りながら、「大霊=神」について考えてしまう。

 思えば思うほど、途方もない存在であられる。

 今の私たちが感じている「この世」だけではない。全く感じられていない部分も含めた「全宇宙」と、現世の物理的な世界を超えた異次元のあらゆる宇宙世界の物理的な表象と実存と、「霊界」のすべてを、摂理で司っておられる、言葉で言い表せない“意識体”――。それが、神様。

 全くもって計り知れないのだ。その計り知れぬ恩寵おんちょうもとで生きているのに、肉体を伴ってこの地上世界に生まれてきた我々は、それを実感できない。感じられないからこそ、摂理に違反する行為を繰り返している。

 それが宇宙の摂理なのです。その摂理に調和しさえすれば、必ずや良い結果が得られます。もしも良い結果が得られないとすれば、それは摂理と調和していないことを証明しているにすぎません。地上の歴史をひもといてごらんになれば、いかに身分の低い者でも、いかに貧しい人でも、その摂理に忠実に生きて決して裏切られなかった人々が大勢いることがわかります。忠実に生きずして摂理に文句を言う人を引き合いに出してはいけません。

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』
「2章 蒔いたタネが実りをもたらすのです」から引用

 「摂理に調和する」というのは、なんと難しいことか……。
 まず、「摂理とは何か」が解らなければならない。
 摂理が解らなければ、どんなに「摂理に沿う」努力をしても、無意味ということになるのかもしれない――。
 摂理を知らないこと、それこそが「霊的無知」という状態だといえる。

 時としてきびしい環境に閉じ込められ、それが容易に克服できないことがあります。しかし、正しい信念さえ失わなければ、そのうちきっと全障害を乗り越えることができます。そんな時は大霊の象徴であるところの太陽に向かって、こう述べるのです――自分は大霊の一部なのだ、不滅なのだ。永遠の存在であり、無限の可能性を宿しているのだ。そんな自分が、限りある物質界のことでくじけるものか、と。そう言えるようになれば、決して挫けることはありません。

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』
「2章 蒔いたタネが実りをもたらすのです」から引用

 混沌とした、利己主義ばかりがあふれている今の時代に、「きっちりと正しい方向へと指導してくださる存在」を得ている人たちがいる。

 そんな位置にいるとしたら――なんという幸運なことか、と思う。

 この僥倖は、過去生で積み上げた恵みの果実なのか、あるいは過去生で積み上げた解消すべきカルマと試練を、どうにかしようともがく努力の先にある関門なのか。

 すべては御心のままに。

(了)

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