「霊的無知」と向き合うには(スピリチュアリズム考②)
きのう、こんな記事をアップした。
この新聞紙面にコラムを書いた時、筆者(双樹)は自身のSNSでも内容を発信している。そうした投稿にはポツポツとコメントなどが寄せられる。やはり運について、神・仏や宗教については、人それぞれに考えや信念・信仰があるので、面白い意見が集まってきた。
以下、いくつかの反応を引用してみたい(個人が特定される情報などは省略し、タイポや誤字などはそのままとした。「(※)」は筆者の注記)。
普段ならSNSで宗教や信仰、霊に関連した話をしない人でも、何か関連した記事が出ると自分のことを振り返る人は多いようで、本当にさまざまな意見が出てくる。
一方で、誰もがそれぞれの「宗教観」「神観」で信心や信念、そして感想などを語る。だがやはり、スピリチュアリズムによってもたらされた霊的な知識、霊的真理は、まだまだ知られていないのだと実感もする。
各コメントには個別に返信するのは最小限にとどめて、以下のような「コメント」を書いて返答とした。
霊的無知と霊界の信仰について
皆様、ご意見・コメントをありがとうございます。以下は長い(約2300字)ですが、ひょっとしたら響く人がいるかもしれないと思い、「霊的無知と霊界の信仰」について書いてみます。
宗教については我が国の憲法でも「信仰の自由」があり、もちろんどなたがどんな宗教を信仰しても問題はありません。ただ、「死んであの世に行ったら、1つの宗教しかないのですよ」と申し上げたら、多くの人は「は?」と思うでしょう。「そんな話は聞いたことないよ」と。
人生を通して善行を積んできた方が「天国」に行くのは宜なるかな、でしょう。しかし、悪行所業の数々を撒き散らしてきた奴が、なんかの宗教で「改心すれば」「洗礼を受ければ」「懺悔すれば」「この教祖を信じて献金すれば」、それだけで天国に行けるというのは、なんか不公正だと思いませんか?
そんな、冷静に考えればヘンだ、理性的に判断すれば「おかしいだろ」と思われることが、こと宗教とその信仰に絡むと「そんなもんなのかなぁ」と無批判で思っている人が多いのではないでしょうか。
そんな不公平を許さないのが「摂理」というものなのです。酷いことをしたのに、うまくこの世を切り抜けて責めを負わずに往生したとしても、死んでからあの世で償うケースは実にたくさんあります。それが摂理の公正さです。
人間は肉体という物質をまとってこの地上に生まれてきています。その肉体は、自身を存続させるため以上に美食に耽ることはもちろん、必要以上に金をかき集めたり、種(子供)を残すだけではなく快楽のためにセックスしたりと、「肉の本能」「自己の利益のための行動」にどうしても左右され、囚われがちです。そんな肉体を“牢獄”と呼ぶ人もいます。
しかし、その肉体は、死ねば朽ちて滅びてしまいます。その後に残るのが霊体です。霊体は、今は肉体と重なっていても波動域(周波数のようなもの)が違うため見えませんが、しかし死ねば、その霊体が肉体から離れて、違う世界=死後の世界に入ります。
最初に入るのが「幽界」と呼ばれる世界です。そこで人間時代を通じて霊体に染み込んだ「垢」=肉体を持っていた時に染みついた人間の習慣を落として、次の段階である「霊界」に往くことになります。
地上時代=現世で強固な宗教信仰を持つ人は、その考えが凝り固まって(信じ込んでしまって)いるがゆえに、幽界から脱せず(霊界に行けず)に留まり、いわゆる地縛霊化する人が多く(いや、ほとんどがそう)なっています。
幽界も霊界も、肉体はなく思念(想念)が自分の周りを形作っていく世界だそうですから、妙な信仰=思い込みがあると、その自分が信じ込んだ概念像から抜け出られなくなるのが原因です。
肉体はもうありませんから、本来ならば「神様」と呼ばれている無限の意識体からのエネルギーを受けて安らぎ(それが愛であったり、知性であったり、安心であったり、感動であったり)を得られるようにできているのです。
それが分かるとようやく、霊界に入っていくようになります。その時点で「ああ、神の摂理って、こうなっていて、これに沿うこと、適うことが自分の魂=霊の成長になり、安らぎを大きくしていくことになるんだ」と気づくのです。それが、最初に「1つしかない」と書いた“霊界での宗教”です。
――こうした話も、ほとんどの人が理解しない、理解しようとしないのかもしれません。その状態にあることが「霊的無知」と呼ばれる段階です。
人類は、この霊的無知の状態に長く陥っているため、自分の得になることや利益を求めて争い、いざこざを起こしてきました。その背景に、肉体本能に根ざした利己主義があるからです。この利己主義が国レベルになったのが国益です。また信仰の違いでも対立してきました。
こうした霊的無知に根差した利己主義から、人類はあまたの無益な戦争を起こしてきました。地上の悲劇の“根本原因”が、この霊的無知だといっていいのではないでしょうか。
記事中にも書きましたが、霊的無知に起因する貧困・飢餓、戦争などの悲劇が蔓延している暗黒の地上世界を「どげんかせんといかん」と霊界の人たちが考えて、霊界主導で始まったのがスピリチュアリズムです。
最初(1848年〜)は心霊現象で「死後の世界=霊界はある」と認識させ、その後(1850年ごろ〜)は数々の霊訓(地上の霊媒を通じて霊の教えを伝えたもの)を伝え、最後には超高級霊による『シルバーバーチの霊訓』のようなスピリチュアリズムの最高峰かつ集大成を伝えました(1920〜1981年)。
シルバーバーチの霊訓は英国人の霊媒M・バーバネルを通じてもたらされたものですが、それが日本語にも翻訳されて残っています。英語圏と西洋諸国語圏以外で、シルバーバーチの霊訓が全て翻訳されているのは、日本だけです。ただ、英国や他の地域ではその後も、心霊現象に固執するスピリチュアリズムが主流になっているようです(解りやすく言えば、雑誌『ムー』的な興味・関心でとどまっています)。
しかし、日本では「シルバーバーチの霊訓こそ真実であり、真理だ」と考えた人たちがいました。その霊訓を研究し、数々のエッセンスを体系立てて「真のスピリチュアリズムの思想体系」へと発展させてきた一派がありました。
それによってシルバーバーチよりもさらに上位にいる超々高級霊の指導を受けることになり、さらに深淵なる霊界の真実・真相が明らかになってきました。それらを一段と深掘りした「霊的真実」を今、まさしく現在、日本を起点に伝え始めているのです。
――と、ここまでで『私見創見』よりも長い文章になってしまいましたが、さて、みなさんはどこまで踏み込めるでしょうか。こういう話をし始めて「双樹(※筆者の本名が書いてある)もおかしくなってしまった」と思う人も多いでしょう。それで構いません。
しかし私は、これを伝道・布教しようなどと思っていません。ここに追加で記事を書いたのは「わかる奴だけわかればいい」(朝ドラ『あまちゃん』の名ゼリフじゃないですが)との思いからであり、その意味で「時期が来た人に響けばいい」と考えたからです。
スピリチュアリズムは、求める人が進めばいい道です。
実際に私自身も布教活動に巻き込まれたわけではないし、これまで献金やお布施は1円たりとも払っていません(これまでの支出は講座を受けにいく際の自分の交通費くらいですね)。
ですから、興味がある人にお読みいただくだけで結構です。これ以上の返信は、こちらではしませんのでご寛恕ください。よろしくお願いいたします。
――説得はしない。でも霊的知識は伝える。なかなか難しいことであるが、霊的無知と霊的真理について考える何らかのきっかけを提供できれば、神様は喜ばれるだろうか。
以下は『シルバーバーチの霊訓』から引用する。
▼参考記事
※文中の引用やリンク先の表示にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。
(了)