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導かれてスピリチュアリズム(私の無宗教遍歴)

 東京スピリチュアリズム・サークルの特別読書会が2023年11月11日、都内で開かれた。スピリチュアリズム普及会につらなる東京スピリチュアリズムサークルが2021年11月に開いた最初の特別読書会では、地上に再臨したイエス――そう、キリスト教徒が“イエス・キリスト”と呼ぶ「ナザレ人イエス」が地上レベルに再臨して、読書会の参加者にメッセージを伝えたという意味でも「特別な読書会」となった。以後は2022年の11月、そして今年2023年の11月と、特別読書会が開かれてきた。

  「え、イエスが来臨? 何それ!?」という方には申し訳なくてすまんのですけど、ひとまずその事実は置いておく。特別読書会だけでなく、イエスはスピリチュアリズムを創始し、現在は日本のスピリチュアリズム普及会を足場にして、人類史上で最大規模の宗教改革を実行しようとしている。スピリチュアリズムを一言でまとめるなら、イエスが統括責任者として2000年もの時をかけて進めている「霊界主導の地球人類を救済しようとする宗教改革」なのだ――。

 と言っても、ほとんどの人は「何を言っているかよく分からない……」と思うだろう。「狂信者の“信心”の世界だべ」と思うかもしれない。そういう向きには、ただただ調べてもらうしかないが、そういう事態が進行しているのが現在の令和ニッポンなのだ――と、筆者は断言する。


見える見えないの話ではないのだ

 その2023年11月11日の特別読書会には、イエスをはじめ霊界の高級霊たちや、それ以外にも数多の霊が集っていたという。肉体をまとった人間の目にはそれらがしっかりと見えないのが返すがえすも残念だ。しかし、霊感(霊眼)のある人になら何か見えたのかもしれない。

 霊感が皆無なことにかけては人一倍、自信があるわたくし(筆者)には……全くもって見えなかった。うん。何かを敏感に感じ取ったという印象もなかった。ただ、スピリチュアリズム普及会の世話人の方がイエスのメッセージを読んだ際には、何か輪郭が白く光って見えたような気がした(近眼なのでボヤけていただけだと思うが)。

 今回の特別読書会のメインイベントであった「スピリチュアリズムの思想体系」についての集中講義は、自分でも学んでいながら関係性がわかっていなかった部分の「つながり」が把握できて、極めて有意義だった。さらに「再生観」についての講義では、『シルバーバーチの霊訓』を読んで今一つあやふやだった部分について、普及会で思想体系化に携わり執筆もされてきた講師の方から霊界からの新たな導きを含めて詳細に解説していただいた。

 この内容には、聴講した参加者の多くが「……すごい!」と唸っていた。これまでのモヤモヤっとした再生についての実相を、スッキリかつキッチリと理解できる世界で初めての解説がなされたからだ。

 この特別読書会については後日、詳しく書く機会があると思うので本日はこれくらいにしておきたいが、イエス再臨によってもたらされ始めた霊的な影響力が新たな地平を押し広げ、新時代を築いていく可能性の真実味が増した読書会だった。

奥底からあふれ出てくる「導き」への感謝の念

 「導かれてスピリチュアリズム」――。なんだか昭和の歌謡曲タイトルのようだが、現在の日本で起こっているスピリチュアリズムの新しい光に集まってきている多くの人が「ここまで導かれて来た、来くることができた」という想いを持っているようである。

 私自身も、こういう特別読書会に参加させていただくことになって、個人的に「よくぞここまで導いていただいた」と感謝の念がいつもあふれてくる。それは我が人生の初源から付き添ってくれている背後霊に対しての「ありがたい気持ち」であるとともに、もっと大きな存在である「大霊としての神」に対する感謝の想いでもある。「こんな“摂理違反の常習犯”に、よくぞ」――と、やや申し訳ない気持ちも混じる。しかし、やはり何かの導きを自覚することになった。

 筆者は、地上で普及している既存の宗教に特別な信仰を持っていたり、ハマり込んだりしたという経験はない。幼いころは病気がちであったが、大病したり大怪我をしたりして人生観が変わったということも、ない。肉親の死といっても祖父や祖母が歳をとって“通常ベース”で他界しており、なんなら両親はまだ実家ですこぶる健在だ。

プロテスタントだった祖父からの贈りもの

 ただ、宗教というものを意識したきっかけとなったであろうことが、祖父の「日々の祈り」だったように思っている。いや、祈りというとカッコ良すぎるかもしれない。プロテスタント系の教会に日曜日になると通っていた祖父は、平日は朝10時ごろから正午まで聖書を読む生活を送っていた。

 学校に行っている間はそれに接する機会はないのだが、夏休みや冬休みなどになると午前中は祖父がボソボソと聖書を音読し、その内容によってなのか時に涙を流しているのを見ていた。

 とはいえ、自分がキリスト教や教会に興味を持つきっかけには、あまりならなかった。クリスマスになると教会に連れていかれて讃美歌などを「歌わされる」こともあったが、そもそも歌を覚えていないのでゴニョゴニョモゴモゴとごまかし、終わってからお菓子をもらうことに全集中していた子供だった。

 自分から宗教に近づくという体験は、高校生の頃に起こった。しかしそれも、アニメ映画『幻魔大戦』を友達と見に行ったのが発端だ。それがきっかけで平井和正の原作小説『幻魔大戦』を読んだ。幻魔大戦は主人公がサイコキネシス(念動力)によって“幻魔”なるものと戦う話だった(と記憶している)。

 そこにはイエス・キリストをはじめ、釈迦やマホメットといった世界宗教の創始者(厳密には違うが)がサイキックな能力を持っていた、と書かれていた(と記憶している)。あまりに俗っぽいことから宗教チックなものへのアプローチしたので誠に恥ずかしいのだが、つまり「超能力」と呼ばれる事象への興味からだったのだ。

 知識として「ふーん、そんなものかもなぁ」と考えていた時に、高校の図書館で出会ったのが『人間釈迦』という本だった。

なぜ『人間釈迦』が目に入ったのか

 現・GLA(「God Light Association」の略、前身は1969年創立の「大宇宙神光会」)の創始者である故・高橋信次氏が書いた『人間釈迦』は、ブッダ(仏陀)となったゴータマ・シッダルタ(釈迦)の人生を描きながら、仏教の教義というよりは考え方や成り立ちを小説風に明かしている書だ。

 GLAという教団の教義にはまったく関心を持たなかったが、「八正道(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)の実践」などは、少年だった筆者の宗教観には少なからず影響を与えたように思う。スピリチュアリズム普及会の「ニューズレター」第3号(1998年10月1日発行)には、「GLA」についての記事もある(以下がリンク先)。

 なぜ『人間釈迦』だったのか、今もってよく分からない。ただ、こうした「ふと目に入り」「なんとなく手にする」というのも、何かのサインというか呼びかけだったのかもしれない。

 これをきっかけに、高校在学中は祖父の書棚にあった聖書にも手を出した。最初に読んだのは聖書協会共同訳『新約聖書』だったと思う。その後はイスラム教の『コーラン(クルアーン)』にも手を出そうとしたが、これは井筒俊彦訳の岩波書店版を上巻の途中までしか読まなかった(読めなかった、が正しいかもしれない。難しいというのではなく、途中で「もういいかな……」と思ったのだった)。

 そして高校を卒業して東京に行く(といっても予備校だったが)ことになった時、祖父が聖書をプレゼントしてくれた。曰く、「世の中にはさまざまな宗教団体があり、質やおこないが悪いものもある。キリスト教系でもピンからキリまである。これを読んで自分が正しいと思うことからブレないように」と。この聖書は今でも所持していて、必要があれば開いて参考にしているが、それでも特に宗教組織に向かおうと考えることはないまま、大学を卒業した。

ラーゲルクヴィスト『バラバ』がもたらした感動

 そういえば大学時代に読んで、感銘を受けた宗教関連の作品があった。“スウェーデン文学の巨匠”と呼ばれるラーゲルクヴィスト(Pär Lagerkvist、1891〜1974)が書いた『バラバ』(岩波文庫、尾崎義・訳)だ。1951年のノーベル文学賞の受賞者でもある。

 ゴルゴダの丘で十字架に磔刑となった極悪人バラバは、イエス処刑の身代わりとして釈放された。特に信仰もなかったバラバだが、自分の代わりに死んでいったイエスのことが頭から離れなくなる。そして神とは何か、信仰とは何かについて考えるようになっていく男の話だった(と、岩波書店版のあらすじを要約してみた。もう一度、読まねばなるまい)。

 神について、信仰について何も知らなかったバラバが、イエスの受難を通して神と信仰を意識せざるを得なくなるところに感銘を受けたのかもしれない。あまりに感動して大学生協の商品・サービス紹介のような誌面に書評を書かせてもらったことを覚えている。

 そんな大学3年生だった1989年の11月3日に、祖父が他界した。甲状腺がんなどで入院していたのだが、「いよいよ」ということで実家のある街の病院に駆けつけ、死への際を見舞うことになった。

 深夜になって、祖父が目を開けて、力のある光でわたくしを見てくれた。口には酸素吸入器がついていたため言葉は交わせなかったが、目に宿る光でこちらの話は理解しているのが分かった。

 そんな時に、ふと口をついて出てきたのが、「大丈夫、死んだ後にも意識は残るよ。心配しないでも大丈夫」という、祖父を安堵させようとする言葉だった。

 実は、このことを当時からしばらくの間は悔いていた。安堵させようとの思いから投げかけた言葉だったが、「本当のところはどうなのか」が、自分自身も分かっていなかったからだ。

 死んだらどうなるのか――。各種の本を読んで死後にも続く世界はあると思ってはいた。だが、まだ霊的な真実をまるっきり知らなかった頃であり、少しばかりの後悔とともに、「本当のところを知りたい」という欲求が高まっていった時期でもあった。

教会で涙するアホがスピリチュアリズムとイエスに出会うまで

 大学の終わり頃から、筆者は宗教というよりはオカルト方面に心が向くようになったようだ。特に占星術などにはその後、30年余りもハマり込んでいくことになるとは思わなかった。

大学1年生の時に教養課程で「宗教学概論」という講義があったので受講したが、だいたいが知っている内容だったので、あまり面白くない。だんだんと出席しなくなり結局、単位も取らなかった。かといって、何か一つの宗教に没入するには、「何かまだ違うな」と感じていたのかもしれない。

 大学では英語サークル(ESS)で英語でのスピーチやディスカッション、ディベートなどを経験して鍛えながら、通訳者になる勉強も始めたことがあった。この時も、宗教についての知識は「海外の文化を知るうえで役に立つ」くらいの捉え方しかなかったと思う。

 それでも、やるせないことがあった、彼女にフラれたといった折にはキリスト教会を訪れて涙するようなこともあった。なんだかよく分からないが、教会というか宗教施設をそんなことに使っていたとは、我ながらアホやなと思う次第である。。。

 結局、通訳者にはならずに普通に就職してマスメディアで働くようになった。入社してしばらくすると、会社に近いこともあって神田神保町の大きな書店に通うことが増えた。

 そしてオカルト・占星術コーナーから流れて宗教関連の棚の前をウロウロすることが日課のようになった頃に、インペレーター霊の『霊訓』(ステイントン・モーゼスが自動筆記)や、『シルバーバーチの霊訓』(モーリス・バーバネルが霊媒)に出会ってしまうのだから、人生はどうなるか分からない。その後の話は前の記事で書いた。

 事ほど左様に、自分は宗教の外周部をさまよっていただけなのに、最終的にスピリチュアリズムに再会して、今では特別読書会にも参加することになっていった。

 これを、ある種の「導き」と言わずして何というべきか。偶然でそうなった、とは思えない。誠に妙ちくりんなルートだが、たどり着く時にはたどり着く、ということなのかもしれない。

 特別読書会の翌日、わたくしは新参の者としてスピリチュアリズム普及会の方々に招かれて懇親会に参加した。そこで、スピリチュアリストとして立っていくため、人生を送るための貴重なアドバイスをいただいた。

 そして前職で記者をしていた仕事柄、何事も「ウラ」を取らなければならないと思っていた気持ちがあったが、そのアドバイスで得心した。霊も人もみんなのために、まだまだ働けるように体調管理にも気をつけて生きていこう――。

 守護霊・背後霊を含めて、ここまでのお導きに、魂からの感謝を申し上げたく思います。ありがとうございました。


※引用・リンク先の表示にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

(了)


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