Listen to What Jesus Says(再臨したイエスの声を聞け)
スピリチュアリストとして生きる決意
スピリチュアリズム普及会に連なる東京スピリチュアリズム・サークルが主催する「東京スピリチュアリズム・サークル『シルバーバーチ』読書会」に2023年4月から参加している。先輩スピリチュアリストのみなさんを見習って、同じように真摯な心持ちで研鑽を積んでいくことを決意した。
『シルバーバーチの霊訓』を基にスピリチュアリズムを実践する生き方を貫き、かつて「ナザレ人イエス」と呼ばれた人間・イエスの地上再臨を信奉し、この世では大霊(神)とそのイエスの「道具」として働くことを念願している。
初めて『シルバーバーチの霊訓』に触れ、その後に貪り読むことになったのは2005〜2006年ごろだった。何かのきっかけで霊界通信や霊訓の存在を知り、その後に東京・神保町の書店でうろうろと買うべき本を物色していた時に、売り場の棚にあったステイントン・モーゼス著『霊訓』(上・下)に惹きつけられて読み始めた。
その後に、今は解散してしまった出版社「潮文社」が発刊していた『シルバーバーチの霊訓』の完読に移った。この書は「シルバーバーチ」と名乗る霊界の高級霊が、英国人の霊媒モーリス・バーバネルを通じて地上世界にもたらした霊訓である。
とにかく煩悩に弱かった男
翻訳したのは故・近藤千雄氏(1935〜2012)。スピリチュアリズム関連の書を20冊以上も日本語に翻訳してきた方だ。前述のモーゼス著『霊訓』も近藤氏の翻訳がある(興味のある方はスピリチュアリズム普及会の「スピリチュアリズム・ブックス」のページをご覧ください)。スピリチュアリズムに出会った当初は、その近藤氏の翻訳本を何冊も買い込み、片っ端から読んでいった。
しかし、そこから「スピリチュアリスト」と思えるまでに至る道は、平坦ではなかった。どちらかというと、わたくしは各種の煩悩というか本能的な欲求には、ことごとく“弱い”タイプだからだ。本能的欲求や欲望を抑え込んで修行するように生きていくのは、まだまだ霊性の低かった自分には当時、できなかったのだった。
仕事の関係から海外(東南アジア)で生活することになって、現地でも蕩々と遊んでしまったり、帰国した後もなかなか遊び歩く癖が抜けずに家族やパートナーたちに迷惑をかけたりと、放蕩していたと表現しても過言ではなかった。「因果応報」はスピリチュアリズムでも明らかになっている神の摂理だが、その頃に自分が撒いた悪い因果のタネを今、四苦八苦して刈り取りながら返済しているさなかでもある。
翻訳者の死を聞きショックで消沈
そんな中で、近藤千雄氏が2012年に亡くなったというのを普及会のインフォメーションNo.5で知り、大きなショックを受けた。近藤氏がいなければ「もう、スピリチュアリズムの火は消えるかもしれない」とまで考え、悲嘆に暮れてしまった感じになった。
近藤氏はお会いしてみたい方の一人であったが、一方で「凡俗な私のような者が会いたいとお願いしても……」という、自己卑下にも似た気持ちもあった。仕事では何人もの要人や経営者に話をきいてきた自分だったが、近藤氏には霊的な気後れもあってか、直接の面会をお願いする勇気がなかなか起きなかった。
そうしているうちに近藤先生が亡くなったと聞いて、大きな喪失感を感じてしまったようだ。その後はスピリチュアリズムについては心の奥底で意識しながらも、霊訓などの各書籍は“本棚のこやし”状態で、霊的な考えから離れた生活を送ってきた。
あやふやな知識ゆえに自由意志で最良を選べなかった
この時こそ実は、本当なら普及会にアプローチするチャンスだったのかしれない。単にアプローチするだけではなく、門の前に跪いて教えを乞うべきだったのだ。
それをしなかったのは、スピリチュアリストとして生きることへの「覚悟」が、まだまだ、いや全くなかったからだったと思う。
勇気と覚悟、といえばカッコよすぎるかもしれない。本当は物欲や色欲や名誉欲を追い求めてガリガリしていたのだ。自分をいかに認めてもらうかに、焦っていた。金銭をどんどん稼いで使いたい、女性にもモテてブイブイ言わせたい――のような、恥ずかしい自分中心的な思いしかなかった。
人間には自由意志がある。これも神の摂理としての恩恵であり、いかなる選択をするかで、人生に良いタネを撒いて大きな実りを収穫できるか、逆に悪いタネを撒いてその不毛をもたらした責任を取るかが決まる。
この時は、やはり自分の自己中心的な考え方で、スピリチュアリズムに進んでいくという「良いタネ」を撒く決断ができなかった。霊訓などを読んで霊的な知識はあっても、それを実践するということを甘く考えていたのだ。いや知識がまだまだあやふやだからこそ、良い道を選べなかったに違いない。
迷走して悪い因果のタネを撒く
その後も離婚したり、会社を辞めて独立したりと右往左往の人生を送ってきた。そこそこ名のある会社で勤めていたので「辞めても何とかなる」と思って勤め人として人生から飛び出したわけですが、世の中そんなに甘くはなかった。
早期退職制度を利用したことで割り増しでもらった退職金も、過去の借金返済とその後の生活費に使ってすっかりなくなってしまった。徐々に独りでも食べていけるようにはなってきていたが十分ではなく、コロナ禍が始まり緊急事態宣言で世の中が動かなくなると、何かアルバイトせざるを得ない状況にも追い込まれた(それでも就ける職があるだけありがたかったが)。
幸い、愛情にあふれた心根の良いパートナーが仕事も手伝ってくれたおかげで暮らせてはこれたが、いつも惨めな感じが抜けず、落ち着かない日々を過ごしていた。そうなるまでは心情的には自暴自棄だった面もあったと思う。コロナ禍で家に閉じこもらざるを得なかったのでおとなしくしていましたが、そうでなければもっと退廃的になっていた可能性もあった。
夜中に散歩に出かけた折に荒川に架かる扇大橋(荒川区)を渡ってしまい、橋の中央でフラフラ〜となったこともあった。自殺願望などなかったのに、やはりおかしな精神状態だったのかもしれない。
「イエス再臨なる!」の衝撃が背中押す
そんな状態が変わったのは今年2023年の2月〜3月になったタイミングだった。何か新しい風が吹いてきたような心持ちがして、近藤千雄先生の死去からあまり読むことがなくなっていた霊訓を、再び手にとるようになった。
実に久しぶりにスピリチュアリズム普及会のサイトも見てみた。そして、人生最大級の衝撃を受けたのである。
「え、イエス様が再臨されている?!」
わたくしはキリスト教徒でもなく、他の宗教にも傾倒したことがない。ただ『シルバーバーチの霊訓』を読んできただけだった。霊訓に書かれてある霊的な知識はあった方だと思うが、ただそれだけでもあった。金もないのに放蕩のような生活で彷徨い、霊的な成長のための実践などは、全くできていなかった。
それでも、ニュースを扱うような仕事をしてきた者として、イエス再臨という世界史の中でも超弩級どころか“ありえない級”の、一般の人なら「は?」と声を出して冷笑しかねない内容に、ものすごい衝撃を受けたのだ。
ニュースの仕事をしてきたので、「ウラを取る」ことは必須だと思った。一方で、これはある種の霊的感覚のせいかどうかは不明だが、「これは事実だろう、いや事実に違いない」と得心もしている自分がいた。
それでも最初は訳がわからず、受肉したイエスが日本に誕生したのかと思って慌ててしまった(実際にはそうではなく、特定の地上人に同調して話すという全く新しい秘技によるものだという。詳しくはスピリチュアリズム普及会の「インフォメーション No.40」以降を読むと理解できる)。
その衝撃を受けて、わたくしは「これまでと同じように後悔したくない」と思い、また「イエス様が再臨されるようなことがあるなら、それは駆けつけなくてはならない」と居ても立ってもいられない心持ちとなった。2023年4月の読書会が開かれる数日前に、東京で読書会を主宰している世話人のOさんに連絡を取った。
読書会に参加したことで生じた変化
この読書会には、単に「興味がある」だけでは参加できない。『シルバーバーチの霊訓』や関連の書籍を読み、普及会がYouTubeで公開している関連の動画を見て、基本的な霊的真理を理解していることが必要になる。読書会の案内ページにも以下のような記述が見られる。
申し込みの翌々日だったと思う。世話人のOさんから電話をいただき、これまでの身の上について話したうえで、上記についてどの程度わかっているかを判断してもらった。幸いにも「では次の読書会でお待ちしています」と、参加を認めていただけたのだった。
そこから人生が大きく変わった――、とは、申し上げたいができない。いつものように仕事に生活に汗をかきながら暮らしているが、心情と生活態度はじわじわと変わり始めた。
酒はまだ飲んでいる(苦笑)ものの、量は減らし、肉食はやめた。祈りの時間を持つようになった。ボランティアでNPOの活動をするようになった。霊的真理の普及に向けて準備をするようになっていった。
このnoteを書くのも、その一環である。特にイエス(とあえて皆にならって呼ぶ)の再臨を受けて、それを「どう表現して伝えるか」を考えるようになった。
霊的真理の普及ミッションを受けて
当初は、一般人にはにわかに信じ難い、またキリスト教者なら顔を真っ赤にして怒り出しかねない「スピリチュアリズムにイエスが再臨」という事実を、そのまま伝えてもハレーションを起こすだけだろうと思った。自分自身が仕事でニュースを扱ってきた者だからこそ、下手に騒ぐとこの真実がきちんと伝わらないことを理解しているからだ。
だから、これは“布教”ではない。むしろ、スピリチュアリズム普及会のメンバーらも常々話ししているように、「時期が来た方にお知らせする」性質のものだと、わたくしも考えている。
しかし一方で、真のスピリチュアリストには霊的真理を普及するミッション(使命)があるのも事実である。ここではスピリチュアリズム普及会のサイトに掲載されていない内容について扱うことはない。それでも同普及会の世話人の方々を通じて、イエス再臨のPRは重要だとの認識が示されている。途方もないミッションだが、智慧を絞って前に進まなければならないのだ。
「霊性文明」の開花期が日本から始まる
ここからは、わたくし個人の考えとなる。科学の発展で人類は非常に高度な文明を享受するようになった。しかし、それはあくまで物質レベルでの話で、文明とは「=物質文明」であり、霊的には全くの暗黒時代を過ごしてきたのだ。
しかし現在は、再臨したイエスを通じて天(神)からの霊力が降り注いで、各地に広がっているという。その霊力を感じられないのが我々という人間の悲しさではあるが、実は物質文明から上の階層に向かう「霊性文明」の入り口に、我々は立ち始めているのではないだろうか。しかも、ここ日本がそのゲート(門)となっている。そのことに今後、世界中で多くの人々が気づいていくようになるのかもしれない。
最後に、こんなにここまでダメダメだった自分を導いてきてくれた守護霊・指導霊のみなさまに感謝します。ありがとうございます。あと何年か、あの世に行くまで改めてご指導ください。
皆様もよろしくお願いいたします。
(了)
※このアカウントは2023年7月16日午後2時05分に開設しました。
(本記事の最終更新:2024年10月4日。内容は初出当時の状況を反映したままです)
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