スピリチュアリズムが示す新しい「神観」「世界観」
占星術や錬金術、魔術などの学徒や実践者は、宇宙とこの地上世界をとり巻く様相を学ぼうと古今の書籍を東西から集めて読む。そして学んだその法則や内容に納得することも増えていく。だが一方で、「本当のところは、どうなのか?」と頭のどこか、心の片隅で考えているのではないだろうか。
「わからない世界」への解答はあるか
戦後の現代的な教育システムで習ってきた我々日本人は、「科学」を学ぶことで地上の物理的な世界について一定の知識は蓄えてきたはず。しかし、どこか見えない世界 ―― 人の運命を決めたり示したりするものであったり、物理法則の枠を超えた事象であったり――を、どうにか把握する方法がないものかと願ってきた人も多いと思う。
そうした神秘主義的な学問領域だけでなく、予言や予知、超能力や心霊現象、自分や他人の前世や、守護霊の身元を探る催眠術(ヒプノセラピー)、さらには夢分析や夢占いなどなど……。いわば雑誌『ムー』が特集してきたようなオカルト世界でも、なにが「正しい」のか、「本物」なのかをめぐっては諸説紛々なのはご存知の通りだ。さらに宗教や宗教学の世界に入り込んでいくと、個々人の信仰の問題も絡んでくるのでコトは一段と複雑になっていく。
しかし、そうした「わからない世界」について、ある程度の「回答」があるとすれば、読者各位はどう思うだろうか?
筆者も若い時期から、わからない世界への好奇心を持てあましてきた一人で、とくに占星術については1990年代初めから「沼地」にハマってきた。その一方で、霊的な世界への強い関心があり、2000年代半ばから「スピリチュアリズム」への傾倒を強めてもきた。本稿では、そのスピリチュアリズムをもとに「見えない世界の真相」の一部、とくに神や霊について考えてみたい。
スピリチュアリズムの勃興期と歴史的な転換期
スピリチュアリズムの世界はいま、大きな進展をともなう転換期を迎えている。スピリチュアリズムといえば、1848年にアメリカ・ニューヨーク州の北端にあるハイズビルという村に引っ越してきたフォックス家の姉妹が、就寝後に音を介して霊的な存在とコミュニケーションをとるようになった心霊現象から始まったとされる。いわゆる「ラップ音」を通じて、霊体もしくは霊界が存在するかもしれないことが明らかになったとされる出来事で、「ハイズビル事件」とも呼ばれる。
これを機に、イギリスやフランスなど西欧諸国でさまざまな物理的な心霊現象が起きるようになった。1860年ごろからはすでに隆盛をみていた近代科学による検証も行われた。のちにレントゲンによるX線の発見につながる「クルックス放電管」を発明したイギリス人のウィリアム・クルックス博士や、1913年にノーベル生理学・医学賞を受賞したフランス人のシャルル・ロベール・リシェ博士らが科学的な徹底検証をし、「霊の世界は存在する」と結論づけた。とくにリシェ博士は、霊体がその姿を物質化して見えるようにしたり、重い物体を動かしたりするさいに使われる半物質エネルギーを「エクトプラズム」と命名したことでも知られる。
世界三大霊訓とシルバーバーチの登場
さて、そうした物理的な心霊現象が科学的にも「確かそうだ」と知られるようになった次の段階で、世界各地に登場したのがさまざまな「霊界通信」であり、「霊訓」(Spirit Teachings)だった。欧州を中心に各地で、霊的な感度の高い霊能者(霊媒)を通じて霊界の霊たちが「霊界の知識・真実」を伝えはじめた。
とくに、上位の霊格にある高級霊たちが伝えたのが「世界三大霊訓」である。フランス人のアラン・カルデックが編纂した『霊の書』、イギリス人のウィリアム・ステイントン・モーゼスが自動書記で著した『霊訓』、そしてイギリス人霊媒のモーリス・バーバネルを通じて超高級霊が語った『シルバーバーチの霊訓』の三書だ。
中でも、1920年から死去する81年までの61年間にわたって超高級霊シルバーバーチがつまびらかにした霊的知識・霊的真実を、当時の英国人編集者がまとめた『シルバーバーチの霊訓』は、のちに「霊訓の最高峰」と言われるようになった。なかでも大きな衝撃を西欧世界 ―― ほぼキリスト教世界と重なる ―― に与えたのはキリスト教の教義についての間違いであり、キリスト教徒が崇めたてまつるイエスについての真実であり、神の本質についての内容だった。
キリスト教のドグマを否定
キリスト教では、イエスを「罪のない唯一の神の子供」とし、さらに「イエスは神である」と規定し、人類に救いをもたらす「救世主」(メシア)として地上に降臨したとみなす。その「イエスこそがメシアである」と信じることによって「罪が許され、救われる」としている。
しかしシルバーバーチを通じて史上初めて明らかにされたイエスの実像は、ローマ・カトリック教会が定義してきた教義(ドグマ)とは、まるで違っている――。
イエスは神ではなく、私たちと同じ人間であった。
イエスは地球人類史上、最高の霊性レベル(霊的成長度)にいたった人間であり、いま現在も地球出身の霊たちで最高の霊格をもつ高級霊として霊界の最上層にいる。
イエスはスピリチュアリズムの主宰者であり、それを通じていま現在も「全人類救済活動」を推し進めている。イエスはスピリチュアリズムの指揮官であり総責任者である。
地上時代のイエスは卓越した霊能者であり、数々の目覚しい心霊現象(ヒーリング現象)を現出させた。
イエスが地上時代に説いた教えは、愛なる神の存在と、神の愛にならって人々がおたがいに相手を思いやる「利他愛」を実践する重要性を強調するものだった。その教えはじつにシンプルであり、のちのキリスト教の教義とは似ても似つかぬものであった。
ゆえにイエスを信仰の対象として崇拝することよりも、イエスを神の摂理に忠実な生き方をした「人間の手本」として見習うことが、われら地上人のとるべき態度である。
(スピリチュアリズム普及会『ニューズレター』第44号「スピリチュアリズムによって初めて明らかにされた“真実のイエス像”」より抜粋し加筆修正)
ここにふたつの大きなポイントがある。第一は、キリスト教徒が「イエス・キリスト」と呼ぶメシアと神は同一の存在ではなく、「ナザレ人イエス」という肉体をまとった人間が、神から「地球人類救済」の使命を帯びて地上に生誕し、神の愛と摂理(肉体的欲求よりも霊性を重んじ、利他愛に富んだ人間関係を広げること)に沿う生き方を教えとしていた点である。さらに第二として、その教えをいまも伝えるために、霊界からスピリチュアリズム運動の地上展開を指揮しているという事実だ。
これにはスピリチュアリズムの大前提があるとわかるだろう。すなわち、「人間はいまの世の中で死んで肉体はなくなっても、霊そのものは死後も存続して生き続ける」というものだ。その事実をあまねく人類に知らしめ、さらに地上人生で霊的な成長をとげて、簡単にいえば「皆がたがいを想いあって暮らせる、もっと良い世の中にしなさいよ」と、人類救済の観点から呼びかけている。
スピリチュアリズム運動の主宰者
またスピリチュアリズム運動の展開では、最初のハイズビル事件があった1848年から十数年は心霊現象を起こすことで「死後の世界=霊界はある」と人々に認識させた。のちの1850年ごろからは数々の霊訓を伝え、その集大成として『シルバーバーチの霊訓』が世に出された。これら一連の流れが、地球圏で最高レベルの霊性と霊格を持つイエスの主導で展開されてきたとシルバーバーチは明らかにしたのである。
それでは、そのあとイエスによるスピリチュアリズムの主導的な展開はなくなってしまったのか?
――まだ人類すべてが救われた様子が見られない以上、イエスが先導するスピリチュアリズムの展開は現在も続いていると考えるべきである。
事実、イエスは2021年4月から、地上のスピリチュアリズム組織にいる霊媒を通じて、より直接的に地上での霊的知識・霊的真理の普及と伝道に関与しているという。
霊界主導で「霊的無知の払拭」運動
スピリチュアリズムはたんなる「霊が見える」や「霊の存在を感じる」といった心霊現象への興味を示すのではない。シルバーバーチの定義によれば「霊界主導の人類救済計画」である。世界宗教として最大級であるキリスト教の教義は、霊界の視点、つまり霊的観点からみても基本的な部分がまったくもって間違っている。霊界が示してきた「霊的な真実」を、ほぼ備えていない状況であり、一部分だけが合っているだけなのだ。
それを霊界の言葉でいえば「霊的無知」の状態という。ほかの世界的な宗教であるイスラム教や仏教、ヒンズー教をはじめ、地球上にあるほとんどの宗教組織が同じ状態にあるといえるだろう。
霊的無知がさまざまな争いや、いがみ合い、対立と争いを繰り広げてきた状態を、いまもイエスはスピリチュアリズムを通して改革しようと邁進している。
「メシア来臨」といえば、なにか雲のようなものに乗ったイエス・キリストが地上に降下してきて、なんらかの大いなる霊力で世界をあっという間に変える ―― と考える向きが、キリスト教徒には多いそうだ。
しかし、あくまでスピリチュアリズムを通じて「その意味をわかる人」が「時期が来たとき」に改心してもらうことで、世の中の大宗教改革を進めていこうというのがイエスの方針だという(詳しくはスピリチュアリズム普及会のホームページなどを参照のこと)。
イエスの指導でもたらされた「神観」
シルバーバーチの霊訓からのち、イエスを中心とするスピリチュアリズムを伝道するための霊団がもたらした新たな啓示として、「神をどう認識すべきか」というテーマがある。つまり「真実の神」とはなにか。この「神観」については、シルバーバーチも随所で語っていたが、それを人間の言葉で最大限に表現すると、つぎの5つにまとめられる。
創造主としての神 ―― 物的な地球が存在する、われわれの宇宙だけでなく、霊界を含めた、あらゆる存在物を創造した神。
大霊としての神 ―― 無形にして無限の広がりで全被造物を大海のように包む大きなエネルギー=真的存在としての神。
愛の始原としての神(愛なる神)―― 霊界と宇宙にあるすべての生命体と存在物に愛を注ぐ神。人間には神の分霊を与え、永遠に存在し成長し続けることを求めている。
摂理(法則)としての神 ―― 摂理にもとづいて霊界・宇宙の全生命体と全存在物を創造し、摂理によって宇宙(地球の大自然も)の調和状態を維持している神。
究極の理想としての神 ―― 神から分霊を与えられた人間が、死後も生きつづけ再生を繰り返していくなかで、つねに成長を目指していく先にある理想としての神。
これら5つの定義を合わせてひとつにしたものが「真実の神」だと、イエスは地上のスピリチュアリストらを指導している。そしてイエスは神ではなく、あくまで地上に肉体をまとって誕生したことのある元・人間であった。つまり「人格を持つ神」でもなければ、キリスト教が説くように神と同一の存在でもない。
神は無窮の過去から存在し、未来永劫にわたって完全無欠であり、全生命体と全創造物を「摂理を介して」支配している。人間も摂理にそった行いをすることで、物理的な肉体レベルでも、霊的にも幸せになれる。それこそが「魂の救済」につながる、と教えているのだ。
神に人格なし
旧約聖書に出てくる神は、まるで“人格”があるかのような物言いで登場する。「エホバ」「ジェホヴァ」「ヤハウェ」であるとか、イスラム教では「アッラー」であるとか、そんな名前が出てくる。「怒れる神」「罰する神」――そんな、人間と同じような感情のようなものがあるかに考えがちだ。
しかし、それは神が直接にモーセのような地上の霊覚者に語りかけているのではなく、神の使命をおびた超高級霊が、当時のある部族のために語りかけたものであるということも、スピリチュアリズム的には定説になっている。おそらく、「ヘルメス・トリスメギストス」のように人間に占星術や錬金術に関する智慧(『ヘルメス文書』)をもたらしたのも、高級霊が霊能者を通じて降ろした知識なのではないだろうか。
霊界が伝えた神の真相は、前述の5つが合わさった「大いなる存在」であり、すべてを包み込む大霊として、また愛の始原として、そして摂理の大元として霊界に行くと(つまり死後に)感じられる神だという。
ちなみに、われわれ人間は肉体をもって地上に暮らしているが、その肉体があまりにも重鈍すぎて神の実在を感じられない、しかし、死後に肉体を脱ぎ捨てると「まざまざと実感できる」そうだ。
こうした現代のスピリチュアリズムの「基本知識」にして「奥義」である霊的真実を、読者諸氏はどう思うだろうか。「トンデモ論」として見ないことにするか、占星術や錬金術、魔術などの通底に触れる基礎的な発想・思想・智慧とするか。まるで学術的ではなくなったかもしれないが、記憶の片隅にとどめていただけたら幸いである。
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【補足:『シルバーバーチの霊訓』から】
同人誌では紙幅に制限がある関係で書き込めなかったが、上の記事に関連のある内容を『シルバーバーチの霊訓』からいくつかご紹介したい。
以上に引用したのは、高級霊・シルバーバーチが語ってきた内容であり、つまりは1920年〜81年(今から約100年〜40年前)には人間世界に伝えられていたのである。これまで「こんなこと、なにも知らなかった…!」という方は、ぜひ読んでみていただきたい。
【参考情報】
(了)
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