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伝説のライヴハウス、バハマ

昨日のアーカイブです。


関西の大物メタル系ミュージシャンが育ったライヴハウスであり関東のメタルバンドが戦いを挑んできた場所、それが心斎橋バハマ。

ツインテールの2回目のライヴはここだった。

80年代に隆盛を極めた(らしい)バンドブームは過ぎ去り、すっかりメタルバンドの存在などこの世には無いころ。

そんな2000年初頭、我々は出る場所がなかった。

『ゆず』や『19』といったアコギグループが話題を呼び、どこに行っても誰に言っても「ヘビメタwwwwww」と笑われた時代。

そんなときにバハマの存在を知る。

老舗のライヴハウスということで絶対に断られるだろうがブッキングに行ってみた。

長髪のお兄さんマネージャーが対応してくれたのだが、自分たちがメタルバンドというだけで興味を示してくれた。

初めて認めてもらった気がして、それだけでバハマの好感度は上がった。


ようやくライヴをやれることになったが、もちろん旨味があったわけではない。

バンドブーム後のライヴハウス出演は出費だけがかさむ。

いつもガラガラの客席はガラガラ。

しかし自分たちの演奏を最後まで見てくれる人が2人もいれば我々は嬉しかった。

客の数で演奏のクオリティが変化しない利点はバハマで培われた。

ゼロに等しいお客さんが少しづつ増えていく快感は、無理やり集客しているバンドには一生分からない。

友達や身内を呼んで、さも人気バンドのように見せていた人達はものの半年で見なくなった。

バハマの常連で偉そうにしているバンドはマウントを取ってきたが、演奏がショボイので気にならなかった。

バハマでの活動はバンド活動の楽しいところや苦しいところ、そしてバンド業界が世間と乖離していることを学んだ。

社会人だから気づいたこともあったが、それらがツインテールの活動を続ける原動力になっている。

2006年にバハマは閉館するのだが、マシモが加入した最初のライヴはバハマというのも感慨深い。

2006_0129ライヴバハマ0069

バハマが無かったらツインテールはそのまま活動ができず、その後に起こるバンド不和で解散していたと思う。


バハマで育ったわけではないし背負うつもりもない。

ただ今はもう存在しない老舗ライヴハウスに出演できたこと、そしてツインテールにライヴをする機会を与えてくれたことには感謝している。

消えそうで消えないのがジャパニーズメタルである。



サポートいただければツインテールの活動がより円滑に動きます! それはつまりジャパニーズヘヴィメタルが動くということだ!