コドモブルー、私の時計はあなたよ💙🩵
ぜりーは、、オトナブルーとも名を出しておりまして、、完全にあのお歌にのっかってます、、
すみません🤣
でも、ただマネをしたわけではありませんでした。
私にとっては、コドモブルーが重要だったのです。
そのために、今の自らをオトナブルーと表したまでのこと。
5、6年前からでしょうか。
ひょこっとあらわれては、語りかけるコドモブルー。
気まぐれで、ちょこまかしてまして。
好きー🥰とか、
やだー😫とか、
平気でとんとんと言ってくれやがるくれる🤣、
それはそれは可愛げもあり、むかむかもしたものにございましてね。
今でも、、めんどいときもあれば、愛しいときもある。
あなたは私、私はあなた。
私は私。
これを言っていても、
フィットしてるときもあれば、そうでないときもありまして。
そうでないときは大抵どんな時だったのでしょうか❓
と振り返ってみたならば、、
コドモブルーを見つけられなかったときと解けるんですと、実感しました🤣
では。
コドモブルーを見つけられなかったときとはどんな状況か❓
と、これまた振り返ってみたならば、、
あの子を探してる真っ最中だとすら気づけない場所にいるオトナブルーな私から、、ようやく気づいて、コドモブルーと同じ方向をみているソファと居場所を実感する直前まで
と、解きます🤣
はてさて。
状況と問いながら、、意味不明にもかかわらず、意味が有明にございますのは、
ともにいるソファであって、
私であって、
居場所だとこたえた私そのものであります。
誰とは時であり、
時は居場所であり、
居場所は状況であり、
状況は振り返りの過程と動作とも解けます。
とのことです。
この循環はなんも1方向とは限りませぬ。
たとえば、誰が状況にもなりえるし、
居場所が動作とも言えるのです。
ただ一つ。
気づけぬ兆候のよき過程のフェーズ2はおそらく、、
【コドモブルーを追いかけている、鬼ごっこでは鬼でしかない、オトナブルーをみかけた時】
でありましょうぞ。
みえてないから、探すし、追いかける。
みえていても、探すし、追いかける。
コドモブルーは私でもありますが、、
もう1人の時間なのです、オトナブルーにとっては。
大切な【心の時間】にございます。
おとぎであろうと、リアルです。
私が探していたのは、心の私。
みっけ!
あれ?では今私は、、フェーズ3にいますかね❓
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