2021.1.20<涙の報い>
朔ちゃん、あおくんお疲れ様。
昨日の夜はとっても楽しかった!あんなに笑ったのは本当に久しぶりで幸せな気持ちでよく眠れたよ、ありがとう。
さてさて、今日のこと。
通勤中に車窓から見えた景色があまりにもきれいでふたりに連絡をしようと思ったの。でもね、耳から聞こえてくるチャゲアスの「LOVE SONG」や「SAY YES」の歌詞を頭の中でなぞっていると、その景色から私はもう少し教えてもらうことがあると思ったの。そしてその時に感じたことは、こんなふうに今日のお手紙に添えて書けばいいと思った。
今日の海は水平線がやけに遠くて、沿岸の工場街の煙突から吐き出す煙が真っ白で空と煙の境目がはっきりとしていた。電車の走りは毎日変わらないはずだし、車窓を流れる景色も変わらないのに、それから、聞いている音楽だって特別な曲でもないのに、私、今日これまでのこの街での涙をひとり思い返して自分を自然とねぎらったの。あの涙の日々がとても美しくて、今の私とは比べられないほどに光り輝いていて、きれいできれいで私自身驚いてしまったの。でも冷静な私は私にすぐに言った、
「あの涙の報いは誰が与えてくれるの?」
そしたらね、すぐに私が私に答えたの。明快な解答だった。
あの涙をねぎらってくれるのは今私を心底心配してくれるたくさんの愛だと思ったの。私は私に報いることはできない、ねぎらうことはできても報いることはできない。
でもたくさんの愛が今、私の身の回りにあふれている。たくさんの愛が私を攻撃するように毎日あふれかえっている。どこにいても何をしていても幾人かの善意と愛が私を常に守り心配してくれる。
ありがとう、毎日思っているよ、いろんな場面で、いろんなときに黙想しながら、独り言にしながら。離れているのに忘れないでいてくれて本当にありがとう。
その愛たちが私の涙の報いだと感じている。人が人を愛するっていうのは自身のこれまでの涙の報いでもあるんだと思ったの。私はこれからも愛する人たちに180%の愛を振りまいていくよ。私が愛する人たちもたくさん涙を流してきたはずだから。綺麗な涙を人知れずね。
言わないことが主張になることもある。
言わないことが言うことでもある。
私が愛している人は、私を愛してくれている人はあおくんや朔ちゃんを筆頭に言わない我慢強い人が多い。だから私は言われたような気がして心配になっていつしか愛してしまっているの。私は常にうるさいからね、バランスが取れているよ。
また明日も、よろしくね。
愛するみんなへ
今日もありがとう!!!
愛してもらっている私より。
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