2021.1.26<自己認識の旅路>
お疲れ様です!
いやあ、昨日はやけに疲れて22時には寝ていたようなそんな気がする。
今日はいつもどおり通勤していつもどおり帰ってきてただいまいつものカフェでこれを書いている。
なんだか、最近の間延び感を自己解明できたから少し気分がいい。少し前までは、1月に入って通勤するようになってから、それからはただ単純にやみくもに「そういうものだ」と考えて、ブログに取り組んだり小説を書いたりしていた部分もあったことに気づいて、だからこそ、続かないことやどこか気持ち悪さを感じていたんだと思うの。
かっこいい言い方をしてしまえば「自営業一本の時とはちょっと違うのよね」という感じ。
アイデンティティは常に忘れてしまう。注意していても何かほかで達成感があると8割がた心の水槽をいっぱいにすることができるからついつい足りない部分を「疲れている」とか「月のもののせい」とか「人間関係のストレス」みたいなもので埋めてしまうんだけれど、実は私の場合自己認識が甘くなると心の水槽はどんどん放水されてしまうみたいなの。
どんなに作文が私の心を開放すると知っていても常にその気持ちを落とし込めるかといえばそういうものではない。それなのに、忘れたころはその忘れたことさえ忘れてほかの原因を探ろうとしてしまう。とても気の長い作業であり、とても根気のいる作業だと感じている。
自己認識を思い出すと私は途端に前を向ける。やるべきことが手につくというか、やる気がみなぎるというか。
以前の困難は単純な人間関係のストレスによる疎外だったけれど、今回ははじめての事例だった。他の冒険による達成感が私を混乱させていたの。加えて職場の女性たちは深く聞いてこないし、愚痴も言わないから私にとってはそういう意味ではストレスなく、拗らせなかったからこそわからなくなってしまったの。これもひとつわかったこと。この経験が今後また同じ状況になったら常に思い出せるといいのだけれど、まあこれも幾度も転ばないと心にしっかりと沁みつかないのだろうなあとは思っている。自己認識って言うのは長い旅になるんだなあと感じる。簡単に自分のものにできる人もいるんだろうけれどもね。私はたぶんかなり時間がかかってしまうのだろうと思っている。でもそれも今の段階でだからわからないけれどね。
いつだってそんな気がしてる。
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