2021.1.4<照ノ富士>

あおくん、朔ちゃん、今日もお疲れさまでした。

さて、今日は照ノ富士について書いてみます。

彼はモンゴル出身力士。相撲取りにとって背の高さと体格は絶対の必須条件、そして、「俺は誰にも負けない」という負けん気と平常心を保つというメンタリティは横綱になる条件でもあると考えます。照ノ富士は実にその二つを兼ね備えた逸材です。

家はモンゴルでは裕福な家庭で、会社経営をしていたそうです。しかし、日本留学の際に親の会社が倒産、家族を守るために生活を支えるために大相撲の世界に飛びこみました。しかし、スポーツ一辺倒というわけではなくモンゴル時代は勉学も優秀、数学も全国レベルの成績、大学は飛び級だったそうです。

入門からも順調で、大関になったときにはモンゴルへの仕送りも一段落しまさに有頂天。タニマチに様々な遊びを教えてもらい連れて行ってもらったそうで、それでも稽古をすれば翌日は難なく勝てる。怖いものなし、なにをやっても勝てる本当の意味でも無敵の状態。

ーーーそしてケガをします。

序二段まで落ちた大関というのはとても難しいことです。金も名誉も地位も力も当然のようにあったすべてが奪われてしまうからです。

照ノ富士は基礎の稽古が大嫌いだったそうです。すり足や鉄砲という基礎的な筋力トレーニングをせずに大関まで上がったのです。もともとの身体能力に任せた部分がとても多かった、そんなふうに感じます。

確かに相撲を見ていても腕の力一本で強引に投げる技が多かった。自分に頼って自分の恵まれた磨かない才能でここまで来た、そう私は捉えました。

序二段まで落ちた照ノ富士は大嫌いな基礎トレーニングをはじめました。(妻と共に。ツェグ・メド・ドルジハンドさんというそうです♡いい名前♡)

嫌いな地道なトレーニングの毎日。相撲のだいご味と言えばあの大舞台で豪快に投げたり、相手をひっくり返したりして強さを誇示し観客に拍手をもらうあの瞬間です。それなのに、地味で何のご褒美もないような筋トレを日々つづけました。それも仕方のないこと、タニマチと飲み歩いたことがあだとなったかのように糖尿病と腎臓結石がみつかり稽古にとりくむこともできないまま30キロもやせてしまったのですから。みっともない姿をファンにも、そして何より愛する妻に見せたくない、

「親方、引退させてください」

伊勢ケ浜親方は「そうか」とは言いませんでした。

東京から比べたら田舎である青森出身の親方も大学出という当時の角界では珍しくインテリの人です。都会の力士たちよりも学があり、横綱になった人でもあります。照ノ富士には何か自分に通じ感じるものがあっただろうし、また、多くを語らずとも照ノ富士なら考えわかってくれると算段したのでしょう。

序二段から再スタートをきった照ノ富士は力任せの相撲スタイルから都度都度体に無理のかけないそして最大限力を発揮できる相撲スタイルに変わりました。持ち前のキレる頭を使い、勝つことを論理的に考えました。その論理的思考の中で「基礎トレーニングは大切である」と判断したのです。

「嫌いなものも、やっているとふつうになり、そのうち好きになっていく」。

栄華を誇った照ノ富士は転落から大切なことを学び取り、腐ることなく地道に進んだのです。また同じ道を。しかし今度は華やかな舞台を目指すのではなく、己のために、そして最悪なみっともない部分を見せてしまった妻にまた強くて最高の自分を見せつけたかったのでしょう。そう、恩返しではなく、他人のためではなく、きっと二度目は自分のためだけにまた強くなり、登り詰めてやると思ったはずです。

一度目は家族の日々の糧のために。

「俺が母親や妹たちにご飯を食わせてやる」

二度目もたしかに家族のためでした。しかし色が違う。

「カッコ悪い姿を見せた。それで終わったら俺がかっこ悪い。惚れこんだ女に自分が選んだ男は最高だってまわりにも認めさせてやる」

勝負師の負けん気です。どん底で離れていった多くの取り巻きに対しての復讐です。そんなときでも変わらずいてくれた妻を最高の地位にもっていってやりたい。家族の意味を照ノ富士はどん底でよくよく理解したのだと思います。

私も似たところがある。自分のためには生きられない、されど人のためには頑張れる。人のためにある私の人生ではないけれど、私が頑張る理由は家族です。誰かを守ることで私は私を生きられる。だから、私はもう今を生きるのです。小さく弱い扶養内にいる少女ではなく、大都会でキャリアを目指すひとりの女性として生きるのです。

どん底を経験してよかった。そう言える人は多くはないでしょう。サクセスストーリーとして消費するのはいつもどん底にもいけない中途半端な人たちです。そして糧にもならない悪口に身を投じてその日をごまかして生きるのです。

どん底とは人生をより豊かに賢く生きる練習期間への突入だと感じます。

あおくんも負けた時ほどチャンスだと思ってください。負けた時は勝つ前触れです。よく食べてよく寝て翌日に備えて頭をクリアにする、それでいいのです。しかし、勝ったときは負ける要素を探す良いチャンスです。寝食を忘れて勉強すべきです。

私の人生の困難に、たくさんのチャレンジに意味を教えてくれたのは朔ちゃんでした。朔ちゃんはひとりでたくさんの山を越えてきました。そこで培った人生訓を惜しげもなく私に教えてくれます。きっと合理的に近道もたくさん知っているはずです。しかし私に成功体験を与えるために、根気よく忍耐しながらともに走ってくれます。

朔ちゃんが私にくれたビーズの歌の中に「Gold」という曲があります。

「誰よりいちばんあなたが真新しい勇気くれるよ、朝の光よりまぶしい、微笑みは胸にしみる」

「戦いの記憶をたどっても、悔やむのは一夜に喜びは永遠に」

「誰よりもあなたの心の平和を祈ろう、何も心配しなくていいから、明日へと無邪気にすすめ」

この言葉をあおくんに渡します。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?