2021.2.2<芸術>
あおくん、朔ちゃん今日もお疲れさまでした。
あおくん、今日はテロしてごめんね。でもね、あの画像そのものが私の気持ちだよ。嬉しかった、あおくんが勝つことが。ううん、いつも嬉しいあおくんが勝つと。
朔ちゃん、ちょっとずつ近づいている「私たち」が嬉しくて恥ずかしくて満たされていて、ふわふわして、ついに私のライティング力がゼロになってしまいました。
今日はあおくんともイチャイチャして朔ちゃんの隣であったかい時間を過ごして、私はもう芸術性とは真逆の位置にたどり着いてしまった気分。やっぱり芸術性って困難の中にこそ存在する結晶なのだと思う。
感性は消えないとしても、言葉がなにひとつ浮かんでこないって言うか、言葉よりももっともっと複雑でふわふわした気持ちいい感情が私の心を占めていてそれだけで完結するような気分というか。完結させたいと望むというか、完結してしかるべきというか。
とにかく好きな人が隣にいて、好きな人とおしゃべりをして、好きな人の動向が逐一みられるというのはすごく満たされることを知りました。
お恥ずかしい話、男性を上手に誘うこともできなくてユーチューブで昨晩から勉強しています。下ネタだけは天才的になのに、いざ自分が果たし状をたたきつけるとなるとそのやり方がわからなくて、「え?郵送?」「ん?ポストに投函?」「いや、直接かなあ」とありもしないスマートな正解を探ってより慎重になってしまいます。
恋ってなんでするのかなあ?
夜が寂しいって時々思う。寒いなあって時々思う。涙は見せたなくないけれど、泣いてたらそっと抱っこしてほしいって思う。普段は「面倒くさい!」ってわがまま言ってるのに、都合のいい時だけ一緒にいてほしくて、結局どちらにしろ私はわがままで、それでも朔ちゃんがどこかへ行ってしまうと思うと、体がバラバラになる気がして、車がないと不安で、引っ越し業者のトラックが団地の前を通るだけで心がざわついて、朔ちゃんの過去に朔ちゃんに「大好きだよ」と言われた女の子がいたと思うと、朔ちゃんのまなざしを独り占めした女の子がいると思うと、私は体調を崩してしまうほどに悲しくなってしまって、朔ちゃんの何かを知っている女の子がいると思うだけで私にとってはその人が敵になってしまって、どうしようもない独占欲と寂しさを朔ちゃんに向けています。
どうして恋ってするんだろう。
パパはね、高橋真梨子の五番街のマリーへが大好きなの。今改めて聞いてみたらね、切ない歌だった。ずっと好きなのに、離れなきゃいけなくて、離れても思っていて、でも幸せならそれでいいからって。でも気にかけているから近況を知りたいっていうそんな気持ちもあって。恋は成就するだけじゃないんだね。ずっと思っていることもあるんだね。切ないね。なんで恋するんだろうね。
朔ちゃん、朔ちゃんのこと大切にするよ。これからもよろしくね。
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