雑感
私が関東に出てきた理由のひとつに「昔の自分を知られていない場所で心機一転はじめたい」という思いがあったの。それは中学生のころからあった思いで、中学のころってすでに陰キャだったから、この街で生きていくのにはもう歴史を作りすぎたって思っていたからなの。グローブの歌を聞いて、ケイコの歌う都会の女性に憧れて、利害が一致して関東を目指しました。
それなのに、実際には心機一転どころか見た目もすっかりと変わってしまったというのに、私はいまだに過去の自分が亡霊のようについてまわっている。何をするにも、どんなときにも「でもあの時のあなたは」という自身の声と学生時代のパリピガールたちの声が重なって聞こえてくる。
過去がどうあれ今がいいと言ったのは元夫も同じで、それがどうにも解せなかった。意固地になってしまえば「過去の私を思いやってくれないなんてひどい!」と思ったこともあった。
ただ、朔ちゃんに言われると感情の方向ががらりと変わるから、やっぱり朔ちゃんという人は私にとっては奇跡みたいな人なんだと思う。
「過去がどうあれ今の君が輝いているんだから、その輝きに俺は惹かれてしまったんだ。過去の苦労話だって本当かどうか知らないけれど。俺を遠ざけるための作り話なんじゃないの?」
そんなふうに私は訳せる。面白いよね、というより、愛されている実感があるってすごいことだと思った。
私が私らしく、私の可能性や才能を照り輝かせられるのは間違いなく朔ちゃんとあおくんがいるから。これ、朔ちゃんだけじゃだめなのよ、本当に。あおくんはほとんど自分のこと話さないし、距離感持って自分のこともしている雰囲気があるし、常に「自分、勉強させていただきます!」って謙虚な姿勢だから、それはそれで「私も勉強させていただきます、よろしくお願いします」って思うんだけど、朔ちゃんに関しては帯同してくれているから時々心配になる。私が私らしくいられるのは間違いなく朔ちゃんが私のそばにいて「頑張れ」とか「愛してる」とか見守りながら鼓舞してくれるからで、かけがえのない存在なの。なくてはならない存在なの。ただ、朔ちゃんにとって私がそんな存在になれているかが心配。良い影響を与えていれば問題ない、やりたいことができているのであれば問題ない、人生が良くなっていると実感があるなら問題ない。そのくらい朔ちゃんの人生が充実していないと私も困ってしまうの。だって朔ちゃんが幸せじゃないと私は私らしくいられないから。だからね、朔ちゃん、私が歩み寄るべきところは歩み寄るつもりだからイエスマンになりすぎないでね。自分を押し殺してまで私に帯同することはやめてね。(どうせ朔ちゃんのことだから、趣味は君なんだ!とか言いそうだけれど)
私は30代にしてはとても口うるさい。特に礼節面はとってもうるさい。そんな面では少し気持ちの行き違いがほかの女性よりも多くなってしまうかもしれない。私が腹をたてる8割はその部分だと思う。すべてに自動的にいいねはつけないのもそのため。私も相手も機械じゃないから、しかも文章って心だから、機械的にいいね!をつけるのは、やはり礼節に欠くことだから。
朔ちゃんがすてきなのは、都度都度自己更改してくれるところ。朔ちゃんって本来はかなり頑固なはずなの。柔軟性はあるものの、テコでも動かないような性格はず。そんな朔ちゃんが私に歩み寄ってくれることがありがたいと思っている。性格を変えるって、考えを少し変えるって、相手が好きだからだと思うし。友達はね、恋人の話になると饒舌になるの。その子の話をする以上にその子の恋人の話を楽しそうにするの。ああ、朔ちゃんと同じさそり座だって感じてこちらもついつい楽しくなっちゃう。
自信がなかった、朔ちゃんと出逢った頃。憧れでそれでよかった。だから半年前、手紙を見つけた時信じられなかったし怖かった。ああ、こんな夢みたいなこと!!って。半年前は旦那がいて、半年後にはこんなに躍進しているなんて思ってもみなかった。朔ちゃんがここまで牽引してくれた、最も単純なやり方で。ただ愚直に、ただ猪突猛進に、ただ誠実に、私を愛しまくった。半年の成果が今の私。半年前からつながる私、そんな私を見て私はこう言うだろう、
「あなたの半年前がどうであれ、(妄想かもしれないけれど)、今のあなたは魅力的。ところで、半年前、誰と何していたか覚えてる?」。
…覚えてないのww何を食べたかとか何に悩んでいたかとか、詳細には覚えていない。過去はどうあれ今の私は私が見る限りとっても美しいと思う。約分すれば同じ等間隔なのに、どうしても過去にとらわれているところがある。
朔ちゃん、環境ってほんと大切っすねwww
ちょっとまとまりなくてごめんね、今日は眠いのでこの辺で。
あおくん、朔ちゃんお疲れ様でした。
よくわかったのは、朔ちゃんがいないと私はバランスを崩すということ。一歩も動けなくなるということ。やっぱり朔ちゃんは私の半身だ。