どこかで見かけた素敵な言葉採集(2)
人間はどこに在ろうと究極一人なのである。
それを認識するのは淋しいかもしれないがその姿勢を持つか否かですべての物事が大きく変わってくる。
何より相手との関係が劇的に変化するだろう。
自分から別れを告げるのはもちろん、相手に振られたときにきっぱりと忘れる決意をすることも立派な別れる勇気です。
どちらも大変な気力と体力を必要としますが、どんな別れる勇気も共通して言えるのは、これほど見事な勇気はないということ。
未練も愛着も振り切ってきっぱり別れを決意できるのは人生最大の勇気ではないかと思います。
別れの潮時を決めるきっかけは人それぞれ。
体の奥深くで直観するときもあれば、人に指摘されて気付くときもあります。
なんにせよ、その潮時に気付いて決意を固めるのは大変なこと。
付き合いが長ければ長いほど、深ければ深いほど、別れるのは本当に難しい。だからこそ、それをきっぱり実行できてしまえる人は最高に美しい。
別れ=敗北
別れ=不幸
なんて誤解もいいところ。
別れを決意してすっぱり断ち切った直後の人は見違えるほど輝いて見えるものです。もちろんそれを実行するまでは悩み、苦しみ。
悲しみ、悶え、身も心もボロボロになってみじめなくらい顔つきも変わるでしょう。
だけど、その一番つらい時期を乗り越えた直後の人って不思議なくらい美しく輝いて見える。
これについて聞きたいけど言ったら彼に嫌われるかもしれない。
この話を持ち出したら彼とは終わってしまうかもしれない。
そんな風に恐れと願望の狭間で立ち往生して、いつまでもクヨクヨ考えていても、事態は一向に良くならないのです。
人間、時には全てを失う覚悟で腹を据えて相手に立ち向かわねばならない時があります。
その結果がどう転ぶかは彼にもあなたにも、誰にもわからないし、だからと言ってその結果の責任を他の誰かに転嫁することもできません。
非常に厳しいと言えば厳しいでしょう。
ですが、そうやって人と正面から立ち向かった数だけ人間は利口になるし強くなるものです。
「嫌われたくない」「捨てられたくない」
おどおどビクビクしながら、いつも背中と背中を擦り合わすようにして付き合っていても、それは「付き合い」であって「真実」ではないのです。
ですから、もっと勇気をもって人や物事にぶつかってください。
男にこっぴどく振られたからといって命まで取られることはありません。
むしろ「勇気をもってぶつかった」➡「傷ついたけど乗り越えた」
そのプロセスを繰り返すことによって堂々たる自信もつくし揺るぎない自我というものが出来上がるのです。
皆さん、恋にも人生にも「新しい展開」を望まれますけど
破壊なくして想像はあり得ない。
ある意味「枝から手を離す」ということは一度死ぬ覚悟で今までの行動パターンや考え方をぶち壊すと言ってもいいでしょう。
皆さんが必死にしがみついている「枝」は彼そのものかもしれないし、結婚への憧れかもしれない。
「この人を失ったら一人ぼっちになってしまう」
という不安かもしれない。
「今さら、進路は変えられない」
という思い込みかもしれない。
が、いずれにせよ、それはあなたの心に根を生やした「エゴ」や「迷い」の木の枝であり、真実ではありません。
「木」そのものをなくすことはできないけれど、そこから派生した不安や思い込みの「枝」から手を離すことはできるのです。
そして多くの悩み苦しみは自分が必死にしがみついている「枝」から手を離した時、不思議なくらい簡単に解決するものなんです。
どんな物事にも限界があります。
みんながみな必死に努力したからといって、大リーガーになれるわけではないのと同じく、一生懸命愛したからと言って、必ずしもその人から同じように愛されるとは限らないのです。
どんなに頑張っても、結ばれないときは結ばれないし「好き」なだけではどうにもならないことがこの世の中にはたくさんあります。
でも自分なりに精一杯がんばったら、それはそれで意味がありますし少なくとも悔いは残りません。
たとえ惚れた男に入れ込んで、お金も仕事もすってんてんになって泣いて帰ってきたとしても、それに納得しあきらめもつくのです。
いつまでも気持ちがくすぶるのは全力を出し切っていない証拠です。
「なんとかできたかもしれないのに」
という思いがあるから気持ちが前に進まないのです。結果はあくまで結果であって物事の全てではありません。
失恋でもしようものなら
「もう生きている価値はない」
「私の人生は終わった」
なんて落ち込みがちですが、この世には「結ばれない方がいい男性」というのも数多く存在します。
神様が先回りして悲劇を防いでくれたのだ。
と思えば次の恋を探す気力も沸いてくるでしょう。
問題は「限界」を無視して何としても自分に有利な結果を得ようとするプライドや執着心です。
自分の過ちや限界を認めることができないのです。
「限界」を知るということは、あなたという人間をあなた自身で認めてあげることです。
「あの人」に愛されなくても、独りぼっちになっても、私という人間の価値は変わらないし
私の全てはOKなんだ。と心から信じられることです。
「限界」を見て見ぬふりする限り、人は自由にはなれないし新しい道を見つけることもできません。
「限界」を認めさえすれば、いつでも違う明日があけてくるものです。
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