母の味、だいたい伝授
阿川佐和子さんの食べ物エッセイ。お母様のレシピからニューヨークで食べたフォーまで様々な料理が出てくる。外食メニューはどれも高級料理が多く、指を加えて読むしかないのだが、ご自身が調理されるものは一転、冷蔵庫にあるものがどんどんと鍋に投入、多少の賞味期限オーバーは匂いを嗅いでから投入。最後にスパイスを入れて、見事なカレーに大変身。とさまざまなものを口にしているからこそできる、「だいたい」の調理レシピ。これでNHKの料理番組を作るというのもすごい。きっとスタッフも頭を抱えているに違いない。
普段料理を作らない人はふた通りに分かれると思う。とにかくレシピに忠実に作ろうとする。材料は当然として、調味料の量についてもしっかり守る。が、困るのが「適量」というやつ。適量って何?何に対して最適な量なのか?!わかっている人だと、味見するなりして、足りる足りないを判断すれば良い、とか感覚的にわかっているのだが、こればかりは経験、ということになる。
もう一方は途中でアレンジを始める。根拠はないが、「これ入れたら美味しくなりそう」とか、「ちょっと水を多く入れてしまったが、大丈夫だろう」とか、なぜかそこを外してはいけないというピンポイントのところに限ってアレンジしてしまい、「なんだか美味しくない」ものが出来上がってしまう。
かつて自分で作っていた時、美味しくない理由は「材料を残したくない」だった。人参や、キャベツ、肉など実は一人分にすると使う量はかなり少なくて良いことに随分経ってから気がついた。外食しても、にんじんを1本丸ごと食べるおかずなどほとんどないし、肉も4カケラ5かけらあれば十分なのだが、毎日作る事ができないと使い切らないと捨てることになるという、恐怖心から、キャベツ1/4個を全部千切りにしてそれだけでお腹いっぱいになったりと、素材の姿の量と、食べる時の量のバランスが全然わかってなかった。
食べる量も、ラーメンに半チャーハン、とかチャーハンに餃子とかの量を食べて、お腹いっぱいになっていたが、ある日コンビニのサンドイッチを食べ、これでは絶対足りないと思っていたら意外に持ったりして、この量の差は一体なんなのか。
食べることは生きること、お父様のように「一食たりとも不味いものは食べたくない」とまでは主張しないが、指折り数えると意外に少ない食事は、美味しく食べたいと思う。