いつでも行けるは都合のいい逃げ道
皆さん、こんにちは。今回は、コロナでよく聞くようになった将来のためにも今は我慢するべきだ、いつでも行けるから。という言葉についての自分の考えを書きたいと思います。結論から言うと
こんなにも都合のいい言葉で数えきれない後悔をしてきたか分かります?
主な要因はコロナなので見えないものだし仕方がないと思っている人は、日本人という縛りに囚われていると思うほかないと思います。だからといって欧米諸国のように意味の分からないことで暴動を起こすというクレイジー行為がよいというわけではないと思います。あくまで自己責任で他人に迷惑をかけない範疇で行うことが求められます。ただ日本という国は集団行動の必要性を洗脳してまで教えているという現状から自分が人と違うことをすることに対しての恐怖があり、世の中のそんな人を差別・排除するといった悪影響な社会構図を産んでいます。国によって個人の思想を支配する。していることが中国と変わらないのではと思ってしまったりもします。(これについては、後に記事にしようかなと思います。) 僕も当初はコロナを防ぐためなら我慢しようと思っていた時期もありました。しかし、コロナは一向に収まることを知らずだらだら間延びしてもう一年になろうとしています。その間に何が起こりましたか?
僕たち4回生世代は終活という旅行も学生最後の旅行もまともにできずに社会人に突入するといった楽しいことゼロのまま闇に身を投じることになります。我慢したから奪われた卒業旅行日数の代休を下さいと言っても社会は悪魔なのでくれるはずがありません。また、1回生世代は、思い描いていたキャンパスライフを送れないという葛藤に悩んでいると思います。なんのために高校3年生必死になったのかわからなくなると思います。更にコロナで相次ぐ廃業、閉園、引退などそれが行こうとしていたものであればそれは一生叶わない夢物語になります。よく人生はいくらでもやり直せるとか我慢した先に未来はあるとかいうことがあります。僕もそんな言葉は好きでそれをモットーに生きています。しかし、人生は一度きりとか後戻りできないとかいう言葉もあります。つい先ほどモットーに生きているといいましたが、付随してやりたいことは後悔しないようにすることがあるんです。
いわゆる人生は長く一度失敗してもやり直しはきくから焦る必要はない。だが、悔いを残す生き方だけはしてはいけない。
これがおそらく皆さんの本心であり、今回のコロナ下で言われている言葉は表面的な言葉をもちいた美化している言葉にほかならず都合のいいように世論に利用され、さらに同調意識によって洗脳されているだけだと思います。最近コロナ下での上級クソ野郎国民の会食問題が起こっていますが、僕からすると人間の言動そのものを表してくれてほっとしているところもあります。根底は、こっちは我慢しているのにサルやなという強い憎しみですけどね苦笑 まあ、そんなことに気づいてしまってこりゃ無理だわと感じてしまいました。
日本は同調意識の洗脳教育ではなく、自己責任的思考を高める教育に切り替えるべきだと今回のこの件で強く感じました。
やりたいことはとことんやりましょう。自粛ポリスとかいう自称正義のヒーローとかいう最悪の悪若しくは社会の粗大ごみにヤンヤン言われるかもしれないですが、正味脳なしのあほんだらなんで聞かなくていいですし、訴えてもいいです。そんな人間の顔をしたサルが消えたところで悲しむ人はいませんww自分の人生に悔いを残さないように過ごしてほしいのが僕の願いです。
本日は、以上になります。読んでいただきありがとうございました。