食事の回数、人に会える回数
昨日、父の40年来の友人が亡くなったと聞いた。
数年前、海外出張で体調を崩してしまい一時は脳にまで病気が回ってしまった。喋ることはおろか、体を動かすことすらもできなくなってしまったが治療の甲斐もあって無事回復し、今年の3月に退院し自宅療養に切り替わった。しかし、数日前に自宅にて息をしていないことに奥さんが気付き、救急搬送されたが間に合わず息を引き取った。
齢61。退院して2か月。人生これから、老後これからという年。無念察するに余りある。
父も母も似たような年であり、どちらもアホみたいに酒を飲むので心配ではあるが、そうなったら自業自得か?とも思うのであまり深くは考えないようにしている。
親の約半生を生きてきた自分ではあるが、よく残りの人生で飯を食える回数や人に会える数などを考えたりする。
飯。1年を365日、朝ごはんは大体決まり切ってるのでバリエーションはないと考えると、1日2食は自由にできる。だいたい人生70歳くらいまでは飯をおいしく楽しく食えると考えれば、残り40年ほどかという概算で考える。
40(年) x 365(日) x 2(回) = 29200 回
多いだろうか。少ないだろうか。
この約3万回の食事で、自分の好きな食事をどれだけとれるのか?
その日、食べたいものを食べたり、時には摂生したり。食というものに何気なく接していると、3万なんてすぐになくなると自分は思っている。
人生すでに約2万食ほど食べてきている。
記憶に残っているもの、もっと食べたいなぁと思うもの、もう二度と食べたくないもの(プリン焼きそば、お前のことだ)、いくつもある。
残りの3万回にそれをねじ込めるか?日本では食えないものも中にはあろう。そんなことをふと思い出し、余生を考えることがよくある。
人に会える数についても同じように考えている。
親族や兄弟と離れて一人暮らし、あるいは家庭を築いて過ごしている人も多いと思う。日本の企業に就いているなら、帰省などで親族と会えるのは大体正月、GW、盆の年3回くらいか。
平均寿命 80 ~ 90 の時代。親や兄弟姉妹に会えるのはあと何回だろうか?
人によっては100回もいかないだろう。
多いだろうか。少ないだろうか。
親族に限らず、友人もまた同じである。
人生通してもう二度と会うことがない人もいるだろうし、腐れ縁のようにずっと会うことになる人もいるだろう。
親に顔出そう! 人に会う回数を増やそう! もっと食事に気を遣おうよ!
そんな啓蒙をしたいわけでもないし、これを書いた動機でもない。
ただただ、人生観の構築における視点の一つとして、数字で考えてみることが時折気付きを与えてくれることもあることを伝えたかっただけです。
食事に限らず、人に限らず。残りの人生をどう過ごすのか。
今夜、ベランダから見えたスカイツリーは、暗く静かに佇んでいた。