ラジオ耕耕season2 #17 に寄せて


私のお気に入りの場所。東京・末広町にあるPARK GALLERY。
このギャラリーは週一配信のPodcastもやっています。その名も「ラジオ耕耕」。先日公開された#17にて、私の悩みに答えてくださっていました。

私が文章を書くときに常について回る不安であり、かつ核心をつく。
そして
私の言葉を読んでくれるあなたとも一緒に考えたいな。
というテーマなのでシェアしたいと思います。

さらに、本編を聞いて考えたことをここでまとめました。よかったら読んでいってください。



「書くことは特権を持ってしまうこと」「私が書くことで他の人の声をかき消している」
これらは社会学的視点から得たものですが、カルチャーに触れることが好きな私自身の中で「作品を言葉で記述することで他の人が自由に楽しむ余白を奪っているのではないか」というある種の不安へと変化しました。その結果、今回ラジオ耕耕へ送ったような悩み事として目の前に立ち現れてきました。


お二人の回答を聞きながら、「そもそも私はなぜ文章を書き始めたのか」という原点に立ち返りました。
それは、自身へ酷い言葉を投げかけ続けるという悪習を断つため、つまり自分のためでした。他人に贈れるくらい、丁寧に包装紙に包んでリボンをかけて大切に言葉を扱う。そうすれば、自分のことも他人のことも大事にできる。その第一歩として、ネット上のプラットフォームで文章を公開することを選んだのでした。そのうち、支えになってくれている作品・作家たちへ感謝の意も込めて、その魅力を表現することへフォーカスするようになりました。

「誰の想像力をも全く狭めない」文章を書くことは限りなく難しい。たどり着けないユートピアを目指すようなものです。しかし、だからと言って開き直って読者を顧みずに好き勝手書くこと、怖いと言って書くことをやめることは、また違うのではないのかなと思います。
できる限り、(加藤さんが仰っていた通り)読み手の自由を制限しない表現を試行錯誤していくことが必要だと感じています。もし、不自由にさせてしまったとしたらその声をしっかりと受け止め直していくこと。それもとても大事なこと。

そして、作品の魅力を言葉を介して伝えることの良いところは、作品が持つ力と書く人の経験がクロスする瞬間を拾い上げられるところです。
ラジオ耕耕本編では阿波踊りの例が挙げられていましたが、私自身も納得できる文章を書き上げられる時には、自ずと経験がクロスしていたことを思い出しました。作品と書く人、どちらか一方では成立しない化学反応がここにはあると感じます。

今回聞いていて考えたことのもう一つ。「私は文章を書くことで何を目指しているのか」
目指すところは作品を切り分けること(こちらはアカデミックな機関でやろうと思っています)ではなく、自分の経験を携えた言葉を通して、作品の周囲に補助線を引くことだと思っています。
そして、ゆくゆくは学術論文とエッセイの間を切り開いていく文筆活動をしていきたいです。

偉そうに、まるで所信表明のような長文を唐突に載せてしまいました…すみません…
でも、再考するための種をこんなにもたくさんもらえたので、「むずかしー!」と思いながらも悩みを言葉にして送ってよかったと思いました。より自由に書けるヒントももらえました。感謝です。

そして、こんな抽象的な命題も些細な日常の疑問も一緒に考えてくれる場所が、ラジオ耕耕です。ぜひとも番組宛にメッセージや感想を送ってみてください。きっと楽しく親身になって答えてくれるはずです。
公開収録も楽しい!(先日初めてお邪魔しましたが、オフレコのおしゃべりも空気感もとても好きでした!)ので、お時間がある時に遊びに行ってみてください!
9月も数回公開収録がありそうですよ!


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