能登半島に建設予定だった原発
*ヘッダー画像はAIにより生成されています
はじめに。
この度、令和6年能登半島地震でお亡くなりになられた方々に、謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災されました皆様に心からお見舞い申し上げます。また今も尚大変な状況に置かれている中、現地の1日でも早い復旧と復興を心よりお祈り申し上げます。
今回、令和6年能登半島地震が発災した時、現地の被害状況と共にやはり気になったのは原発でした。特に今回最大震度を観測したのが原発のある志賀町とのこと。
東京電力福島第一原子力発電所の事故の後、何度も福島、主に富岡町や飯舘村などへ足を運んでいる私としては今回また同じことが起きたらと思うと気が気でなかったですが、大きな事故に繋がらず本当に良かったと少し安堵したと共に、今回震央となった珠洲市に原発の建設予定があったことを初めて知りました。
原発の是非は簡単には語れないですが、再稼働に向けて動き始めている中、少しずつ薄れている原発問題。今の状況と共に考える一つのきっかけになれば幸いです。今回は資料仕立てで情報を纏めました。
令和6年 能登半島地震
2024年1月1日16時10分に発災した能登半島地震は気象庁マグニチュードM7.6
石川県志賀町(しかまち)、輪島市で観測震度7を記録した。
(発災直後は志賀町のみ震度7を発表、後日輪島市も追加された)
震源は石川県能登地方で(輪島の東北東30km付近)深さは16キロ
震央は珠洲市内。
また能登半島では陸域がおよそ4.4平方キロメートル拡大。
輪島市では防潮堤や海沿いの岩礁がおよそ4メートル隆起し、珠洲市では
全長およそ4キロにわたって地盤が隆起、一部では高さ2メートル余りの「崖」ができていたことが国土地理院の調査で分かったとのこと。
現在 能登半島にあるのは北陸電力 『志賀原発』
志賀原子力発電所は今回最大震度7を観測した志賀町にある。
2基の原子炉があり1号機が1993年7月、2号機が2006年3月運転を開始したが
2011年東日本大震災による原発事故後から現在に渡り運転を停止している。
また、北陸電力の発表では現在原子炉内に核燃料はないが燃料プールには1号機に672体、2号機に200体の使用済み核燃料が貯蔵され、冷却されているとのこと。
今回の地震では1号機の原子炉建屋の地下2階で震度5強相当の揺れを観測。
2号機の変圧器などが壊れ油の一部が海に流出したとみられているが、使用済み核燃料を保管するプールの冷却など安全上重要な設備の電源は確保されているとしている。
今回、地震後初めて3月7日に報道機関に被害を受けた設備などが公開された
建設予定だった珠洲原発
1975年北陸電力が珠洲市に立地地候補として打診。
翌年、1976年には中部電力、関西電力が大規模原発えを共同開発を検討していると発表し、電力3社が共同調査の為のプロジェクトチームを編成し、原発立地に向けた調査活動を開始したが、長年の住民による反対運動によって2003年電力会社の申し出により凍結された。
その後、2007年に能登半島沖を震源とした能登半島地震が発災。
穴水町、輪島市、七尾市で最大震度6強を観測。
そして2024年珠洲市を震央とした令和6年能登半島地震が発災した。
過去に起きた原子力発電所の主な事故
1959年 サンタスサーナ原子炉実験場事故
1979年 スリーマイル島原発事故
1986年 チェルノブイリ原発事故
1991年 美浜原発2号機事故
高速増殖原型炉「もんじゅ」事故
2004年 美浜原発3号機事故
2011年 東京電力 福島第一原発の事故
リンク元:電気事業連合会
日本の過疎化について
現在日本国土の多くが過疎地域とされているが、過疎化は原発の立地要件の一つと考えられる。
因みに珠洲市は候補地になる5年前、1970年に過疎地域に指定されている。
原発の建設されている場所と過疎地域を地図で確認。
日本の原子力発電所マップ 2023年版
2024年8月 島根原発2号機 再稼働予定
nippon.com
Megumi Johima