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#住民投票
「正しい主張が、これからもずっと守らなければならないものをちゃんと守れるように」 石垣島、それでも声を上げる〈後編 〉
(前編より続く)
9月15日、那覇地方裁判所(福渡裕貴裁判長)にて「石垣市平得大俣地域への陸上自衛隊配備計画の賛否を問う住民投票において投票することができる地位にあることの確認請求事件」(以下「当事者訴訟」と表記)第6回口頭弁論が行われました。
当事者訴訟の原告は、3名の石垣市民です。前裁判である義務付け訴訟に続き、石垣市住民投票を求める会の金城龍太郎さん、宮良麻奈美さん。そしてこの当事者訴訟
「次に進むための、次に誰かに想いだったり仕組みをつなげていくための、大事な作業だと思っています」 石垣島、それでも声を上げる〈前編 〉
2022年9月15日、那覇地方裁判所(福渡裕貴裁判長)にて「石垣市平得大俣地域への陸上自衛隊配備計画の賛否を問う住民投票において投票することができる地位にあることの確認請求事件」(以下「当事者訴訟」と表記)第6回口頭弁論が行われました。
原告の1人、金城龍太郎さんの報告会でのお話を映像(約6分)でお伝えします。またその背景として、現在の裁判にいたる経緯を以下に記しました。石垣島の住民投票を求め
この島の人たちが本音で話せるように〜石垣島・ハルサーの闘わない闘い〜 ⑨
いま、何が聴こえますか?
社会が脱皮しようとする音が、僕たちには聴こえてきています。(一同、拍手)
はい、いいことを言いました。(一同、笑い)
ー2019年9月。市への提訴の報告会を石垣島で行った時の、龍太郎さんの第一声だ。大署名運動会から一貫してこだわり続けた愛とユーモアは、法廷という次のステージでも健在だった。
11月、裁判は始まり、12月に第2回、年が明けて2月には第3回と口頭弁論は続い
この島の人たちが本音で話せるように〜石垣島・ハルサーの闘わない闘い〜 ⑧
「“りゅうちゃ〜ん”とか、それがだんだん“りゅうた〜ん”ってなって。これはいい話だからって伝えてくれる時の安里さんの第一声です。あの時もそんな風に話がはじまりました」
訴訟に至った背景をたずねた。
龍太郎さんはその日のことをよく覚えているようだった。
家族と外で昼食をとり、その後は別々の用があって、ひとりで車に戻ろうと駐車場を歩いていた時に携帯が鳴った。
暑い石垣島でもその日はとびきりの暑さ
この島の人たちが本音で話せるように〜石垣島・ハルサーの闘わない闘い〜 ⑦
勝手にぃ〜、ラジオ議会〜♫
ーラジオから、若者たちの楽しげな声が、聞こえてくる
高虎)いつの時代でも猛威をふるっていた重病、恋の病。その中でも症状の重い、好きな人に彼氏・彼女ができたパターン。あきらめるべきか否か、教科書ですら教えてくれません!住民投票を実施して市民の声を聴き、議会として早急に対策を練る必要があると思います。
龍太郎)議長!
央)はい、龍太郎くん。
龍)個人的すぎるのではないかと
この島の人たちが本音で話せるように〜石垣島・ハルサーの闘わない闘い〜 ⑤
「ものすごく悲しかったですね。こういうことが、あり得るのかなー、って」
マンゴー農園でのお話の中で、最も印象に残ったのは、この言葉だった。
発する音が耳に残った。龍太郎さんは、ずっと標準語で受け答えしていて、今の若い人はそうなのかなとか、私に合わせてくれているのかなと思ったけれど、この言葉だけははっきりと沖縄なまりだった。
2019年2月1日
龍太郎さんは、石垣市議会本会議場の傍聴席で、住民投
この島の人たちが本音で話せるように〜石垣島・ハルサーの闘わない闘い〜 ④
石垣島のほぼ中央に位置する於茂登岳(おもとだけ)。沖縄県内で最も高い山だ。東側にはその山の名の通り、「於茂登」という集落がある。戦後沖縄本島や与那国島から計画移民として渡って来た人たちが住んでいる。何人かは、本島の北谷(ちゃたん)村から移り住んだ。彼らは家や畑を米軍基地として奪われ貧しい生活を強いられたため、自分たちの土地を求めてこの地に渡って来た。63年前のことだ。於茂登岳周辺には、他にもたくさ
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僕らのまちに 雪が降る
なんてことのない あたたかな島
僕らのまちに 雨が降る
いつかは止むさ 人生も同じ
僕らのまちに 風が吹く
南から 北から 東から 西から
僕らのまちは まち自体が素敵で
ほんとはどこにも 流されちゃいけない
これは「大署名運動会」が始まってすぐの頃、市街地で行われたライブの中で披露された、ハルサーズの曲の歌詞だ。
ハルサーズはその名の通り農家の若者3人で組まれてい
この島の人たちが本音で話せるように〜石垣島・ハルサーの闘わない闘い〜 ②
石垣島は歌と踊りの島、芸能の島、と表現されることがある。
沖縄本島の名護で「沖縄では有形の文化財はことごとく壊されてきた歴史がある。だから歌や踊りのような無形の文化を大切につないできた」という話を聴いた。大津波、台風、戦争マラリアなど海の向こうからやってくる天災あるいは人災に苦しめられてきた石垣島にも、それは当てはまる。
しかしそれは「文化」というより「生活」そのものだったのではないだろうか。
この島の人たちが本音で話せるように〜石垣島・ハルサーの闘わない闘い〜 ①
「受粉を蝿でやってるんです。銀蝿を呼び込むためにお刺身屋さんから魚のアラをもらって来て、ハウスに入れておきます。沖縄では一般的なやり方です。蜜蜂は理想的ですが、コストが高いわりにマンゴーの花粉の匂いを好まないんです。」
石垣島の中部、嵩田(たけだ)でご両親とともにマンゴー農家を営む金城龍太郎さん(29)。2代目のハルサー(沖縄の方言で、畑仕事をする人)である龍太郎さんに、ハウス栽培中のマンゴーを