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「ミッドサマー」見たよ。

観ていて思ってことは、土着信仰ってこんなもんだよ。
僕の田舎も近い近い。おじいちゃんがやっていた地域史の古文書とかでも、今の人権的にNGなこと沢山やっていたよ。
そして、家族というカテゴリーの危うさ、コミュニティーも同じく。

映画自体は、「じわじわくる楽しさが最高!!」
そして、僕が20代だと、心に激震するタイプの映画だなぁー。(ヒロインの序盤のエピソード経験済)

あのグロテスクなシーン自体は好物です!!
砕き方、最・高!!剥ぎ取り方、最・高!!

タブーを犯したら、それ相応の報い当然派なので、仕方がないよねという派なので、基本、あの地域のコミュニティーに関して、仕方がない。

「でも、基本、立憲主義の国家でいるので、それ自体駄目」よっていうのが正当な立場。

あれ?上と下で矛盾があるのはどうしてでしょう?
そう、その上と下の差、矛盾こそ、この映画で大切な、奇妙な箇所、映画としての推進力になっているところで、この差分が無いとただの、野蛮な行動/法外な行動で片付けられる話なのですが、その法外さや、野蛮さを前半に丁寧にそして、順序よく見せているため、最初の崖のシーンで、あるあるネタに感じてしまう。※僕だけ?

参加する個々人が行動に向かわせることは、上意下達だけでなく、合意がある行動と感じる。
悪く言うとナチスドイツの「合意独裁」とも似ていると思う。
よく言うと個人のインセンティブを与えることで、コミュニティーのインセンティブに繋がる。「由緒あるオキテを守る」的な理論。
(※最近の小学校とかの組体操もこれと一緒のような気がする。あれ、よく言っていない。。。。)


個人的には、フラットで自由な経済と人の尊厳を尊重するように社内制度設定したいので、このタイプの祝祭に対して、「やるのは、いいけど、法に沿ってね。崖の話以降、あれ、駄目だよー。」って、感じなので、陰惨に思えず、どちらかというと、本当にあるあるネタというお話で感じている。
特に家族の呪縛を感じ、本当に逃れる方法がないので、どう向き合うかを問われていると非常に感じる。


個人的に、映画を観ることで、自分のカウンセリングをしていると非常に感じる。
だって、順序よくわかりやすく見せてくれる映像作品でなおかつ、120分間とか集中できるため。
このようにしっかりと丁寧に作られた映画だと、自分の過去で蓋をしたものを安全に開くことができるので、非常に感謝している。
下手にスキャンダラスに描いている作品だと、認知して、蓋を開ける際に、失敗する可能性もある。


なので、「ミッドサマー」は、もう少し深堀りして何度も観たい作品です。

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