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無敵の微笑みを見るまでの10年 その4

 中学、高校と俺の青春はスピッツだった。朝起きた時は何も噛みつかないのに青い車。部活動に行く前は8823で士気を高める。帰りの田んぼ道は稲穂を聴きながら疾走する。はやて君という友達とはハヤテを聞いた。そのはやて君の元カノは、ピアノを習っていて坂道の先にあるから、スパイダーが彼の持ち曲のように扱われた。彼女と別れた時は、春の歌や魔法のコトバで感傷に浸り、テンションの高い夜はスターゲイザーを。テンションの低い夜はさらさらを聴いた。テレビの前で、草野さんがみなとのAメロの入りをミスったのを微笑ましく見届けるなどはしながらも、バスの揺れかただけでは、人生の意味は分からなかった。何曜日であろうと。

 「大学生になった今でもやっていることは変わらない。どんどんスピッツレパートリーは増えていくばかり。免許を取った今、晴れた空の日曜日に、353号線を走って青い車で海を見に行こうと言いたい。だけど、君は来ない約束した場所へ。というかいない。一人寂しく、夜を駆けていく。めぐりめぐって、「心の底から愛してる」ってはっきり言えるような人が目の前に現れるのかな。俺の大学生活残り半年間、青春生き残りゲームは終わらせねえ。」

 ・・・というように、スピッツで埋め尽くされているような脳内環境は小学生の時から徐々に積み上げてきた賜物である。友人や先輩後輩、先生から親戚までもが、「お前はスピッツのイメージ」と言ってくるのだから。多分、歴代の元カノたちはスピッツを見るたびに俺を思い出してるんだろうなあ。俺のことは嫌いでも、スピッツのことは嫌いにならないでください!

 そんなスピッツファン歴10年の私が、とうとうライブデビューをすることが決まったのだ。中高と部活に打ち込み、大学では新型コロナウイルスの影響や、自身の忙しさで全くライブに行けずにいた。社会人直前、時間を一番作りやすい今しかない。

 そしたら、大阪と横浜が当たった。

「ロックロックこんにちは」というタイトルはもちろん知っていた。あの緑黄色社会と秦基博、そしてORANGE RANGEもでるというのだから、激アツ案件だ。

 お待たせしました。次の話が出るのがライブからちょうど1週間後。前振り長くてすいませんね。
 
「ロックロックこんにちは」
 人生初の生スピッツ、観覧記です。

その5(最終話)に続く。


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