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工場実習という原点

2014年7月24日にFacebookに投稿した記事を見つけました。思うに自分にとってコンサルのスタンス、栃木という場の意味は、この2008年入社時に2週間行った工場実習から脈々と続いているように思います。なぜ書くか、と言えばそのとき自分がどう考えていたかを知りたいから、とも言えます。この記事も書いておいてよかったと心から思います。さてはじまりはじまり。
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土曜日、栃木に行ってきました。目的地は、大谷石を切り出した跡地にある大谷資料館(宇都宮市)。ここはとてもよかったです。関東にお住まいの方には、涼しくて荘厳な場所なので日帰り旅行にオススメです。

その他、アウトレット(那須塩原市)、餃子食べ比べの来らっせ(宇都宮市)などに行きました。本当は喜連川社会復帰促進センター(さくら市:セコムなども運営にかかわるPFI刑務所)と三菱ふそうトラック・バス喜連川研究所(さくら市)へも行ったのですが、さすがに立入禁止でした。。。

せっかくだから原点回帰しようという思いもあり、土曜日栃木である場所に立ち寄ってみました。

2008年、新入社員の工場実習での話です。若生は、富士通オートメーションという会社に2週間行くことになりました。ハードディスク製造機器や液晶パネル検査装置、食堂自動精算装置、果ては二足歩行ロボットなど、「富士通グループで作れないものがあったら、最後はここに持ち込まれる」と社員のみなさんは誇りを持って私たちに話してくれました。

ある社員に話を聞くことができました。「川崎市出身で川崎の会社だからと思って高校卒業して富士通に入り、数年したら工場が栃木県小山市に移ると言われ、その後いまの栃木県さくら市に来たわけだ。もう戻ることもないと思って家も買ったよ、ここで」という社員。

その後、何があったのでしょうか。6か月弱の新人研修を終えて会社・事業部(富士通総研・公共コンサルティング事業部)に配属されてすぐのことでした(2008年10月)。
http://pr.fujitsu.com/jp/news/2008/10/29-3.html
富士通オートメーションは、ミヤチテクノスという会社に売却されることになりミヤチシステムズという会社になりました。富士通の本業であるICT分野との相乗効果が見込みにくい分野の企業について整理する途上でした。

「富士通じゃなくなってもうまく行けばいいかな」と思っていたのですが、なかなかそうは行かず苦難の道のりが続きます。2011年には、40人の希望退職が募集されることになりました。
http://www.fukeiki.com/2011/04/miyachi-cut-40-job.html

あのとき若生に話してくれたぶっきらぼうな社員は、まだ元気でいるのでしょうか。"FUJITSU"が"MIYACHI"になった工場を見て、いろいろと考えさせられました。何が彼らにとって幸せなのか、何が会社にとって正解なのか。。。
(ちなみにこの記事を書いたその後、アマノグループになり、このさくら市の拠点はなくなってしまいます)

そうは言っても、政府も自治体も企業も変わらなければいけないときはあります。コンサルをやっている過程で、手触り感のない進め方はしていないつもりですが、改めて肝に銘じたいと思います。想像力と創造力。

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