神様のような俳優さん AD生活5日目
本日は昨日お話した、神様のような芸能人についてから書いていきます。
芸能で数年過ごした経験を経て、今でも鮮明で覚えている出来事のひとつです。
芸能あるあるかと思いますが、今となっては、ほぼ全てのタレントに会ったことがあるので、プライベートでも仕事でも、どんな大物芸能人に会っても大して反応しません。
大学時代の友人と飲み会をすると、「○○と会ったことある!?」などと話題の俳優さんやアイドルの名前を挙げられますが、そりゃあ会ったこと(間近で見たこと)はあります。が、ほとんどが会話したわけでもなく、見かけた程度です。
ただ、AD初期の頃は毎日が新鮮で、今日はあの人、こないだはあの人と会った!スゲー!!みたいなテンションでした。
それこそ自分が担当する番組のレギュラー出演者も当時の私にとってはスターですし、憧れていたお笑い芸人さんがゲストで来た時はテンションが上がります。が、その表情をした瞬間場が凍るといいますか、ダメな空気が流れているので心にしっかりしまっておきます。
ちなみに、芸能事務所やテレビ局でデスクと呼ばれる役職、庶務的な作業を行う人たちはジャ○ーズファンの女性がとてつもなく多いです。
おそらく、ADやマネージャーは大変そうだからデスクになったんではないかと勝手な偏見を持っています。(失礼)
話が脱線しましたが、私が今でも心から尊敬している俳優さんについてお話します。
ADとして働き2ヶ月経過したころ、私と同期の二人はスタッフルームの前の廊下で何十種類とある会議用の資料を、それぞれ1人前にまとめる作業を行なっていました。
工場の流れ作業のように、ひたすら組むだけですから小学生でもできる作業です。ただ、この数が半端ではないため、その作業だけで1時間近くかかります。
黙々とその作業を進めていると、近くのエレベーターが開く音、そして少し日焼けした、シュッと引き締まった腕が私の前をよぎり、資料を手に取りました。
そしてそのまま1人分の資料をまとめ、「頑張ってね」という言葉とともに遠くへ歩き去っていきました。
てっきり私はAD仲間か、先輩ADかと思ったのですが、聞き覚えのあるような、無いような・・その声に振り返ってみると、背の高い紳士と、それを取り囲み苦笑いをしているマネージャーやスタッフ。
資料1部をまとめ、励ましの声を掛けてくださったその男性は俳優の織田○二さんでした。
わけのわからない状況に固まりましたが、10秒後何が起きたか再認識し、心の中で、なんとも言えぬ熱い感情になりました。
こんなことは、ありえないのです。
国民全員が知っているトップ俳優さんが、奴隷と言っても良いADの作業を手伝い、労いの言葉をかけてくれる。私の芸能で働いた数年の中でも一番の出来事かもしれません。
その日から僕は、その方の素敵な行動を友人に広めるのでした。笑
また、「嫌いな芸能人いる?」という質問もよくされます。
答えとしては基本的にはいない。です。
ただ、態度がちょっと・・という方は居ました。
女優のKさん。
ある日、番組にゲストとして出演してくれましたが、台本は読んでいない、リハーサルでは駄々をこねるなどがありました。
日々の仕事で疲れていたり、ストレスが溜まっていたのだろうと思っていますが。
AD5日目の朝。
この日は久しぶりに5時間程寝ることができ、頭もしっかり働きました。
自主的に動くこともでき、ようやく自分も働いている!という自覚を持てました。
この日は昼前から収録をし、24時までぶっ続けではありましたが、合間合間にある出演者と総合演出との打ち合わせの議事録係を任され同席したり、今までテレビで見ていた有名な企画を生で見ることができたり、充実した日でした。
また、ゲストとして当時大人気の女性アイドルを拝めたり・・ADになってよかった!という思いでした。
ちなみに同期の男性ADは、そのアイドルグループのオタクというもので、学生時代は握手会やコンサートに毎週のように参加していたようです。
その日の夜中、同期AD達と一服しながら、その日の出来事やこれからの夢、休みは何をしようなど、久しぶりに笑いながら話ができました。
26時頃、ようやくディレクターも帰り、先輩ADに土日はどうすればよいかを聞いたところ、「土日はどっちか休んでいいよ」と指示をいただき、我々も各々休みを決め、帰宅したのでした。
ちなみに、24時を越えると深夜で電車がないであろうということでタクシーでの帰宅が許されています。
なので、22時ぐらいに業務が終わると、多くのADは2時間程スマホをいじったり、大浴場に入ったり、好きな時間を過ごしてからタクシーで帰るというケースが多かったです。当時はまだタクシーの利用に寛容でしたので・・
私は6日目、土曜日に出勤して雑務をこなし、日曜は家で寝て過ごし、ようやくADとしての1週間が終わりました。
この1週間は、人生で一番長いものでした。
ほぼ寝ずに働くという辛さと、夢だったテレビ業界で働いているというモチベーションが均衡し、若いバンドマンのように、いつかビックになってやる、という漠然とした思いを抱え、日曜日の休みは過ぎていきました。
本日は以上です。
みなさんが聞きたいとこと、知りたいことなどがあればぜひコメントをください。今となっては普通のサラリーマンですので、できるだけお答えしたいと思います。
明日はADの残業時間について書こうと思います。
また、私が書いている内容は現在のADの方々の働く環境とは大きく違います。それは複数の理由がありますが、大きなきっかけとしては電通の自殺事件があります。
そちらについても記載予定です。
本日も読んでいただき、誠にありがとうございました。