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【日刊辛愛媛】廃線復活より連節バスを

◎松山市と郊外を北西、南東、南西に電車が走り、軌道(路面電車)が松山城を取り囲むように環状線が、松山市駅から道後温泉、JR松山駅、本町へと往来する伊予鉄道。
 そして、今から半世紀以上も前には、市内を南へ延びる「森松線」という郊外列車があったという。それは現在の国道33号線の沿線に相当する。

森松線廃止後の皮肉な人口増

 松山の南部、いわゆる城南地域は石井地区を中心とした住宅街。昭和中期まではのどかな田園地帯で石井村から松山市への編入は遅かったという。その中央を南北に貫く国道33号線は、将来の車社会に備えて車線拡幅。その影響で森松線の役割は終わった。
 しかし、皮肉なことに廃線直後から昭和後期に人口が急増し、1校区に4万人が住むように(小学校が4校、中学校が2校新設分離)。そこへ車社会の到来で公共交通の利便性が低下し、渋滞や朝の通勤通学時のバスは満員。伊予鉄バスの基幹路線である砥部(とべ)〜松山線は高頻度運行で対応している。昭和時代の当時を知る人からは、森松線が残っていたらという声を耳にする。

伊予鉄旧森松駅(現 同バス森松営業所)
廃線から半世紀以上経た今も終着駅の雰囲気漂う
(Google map より)

 更には筆者も含めた森松線を知らない世代の、特に鉄道愛好者(ヲタクとは呼ばない)からは、“森松線復活を”というコメントをいまだに目にする。ちなみに、森松線の終点森松駅(現 同バス森松営業所)は松山市と砥部町を隔てる重信(しげのぶ)川の間近にあり、廃線前からゆくゆくは川を渡って砥部町まで延伸する構想もあったという。現在、愛媛FCのスタジアムが同町中部にあり、鉄道愛好者の思いはそれを踏まえての意見とも思える。

非現実的な廃線復活と「連節バス」

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