裏切られた映画たち(仮)【2024年9月号 押井守連載 #9『エイリアン:コヴェナント』】
“裏切られた映画たち”とは、どんでん返しなどではなく、映画に対する価値観すら変えるかもしれない構造を持った作品のこと。そんな裏切り映画を語り尽くす本連載。今月は、リドリー・スコットが自らメガホンをとった『エイリアン:コヴェナント』です。
取材・文/渡辺麻紀 撮影/ツダヒロキ
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サー自身が、職業監督としての自分自身を裏切ってしまった『エイリアン:コヴェナント』
――今回のもう1本は“サー”ことリドリー・スコットの『エイリアン:コヴェナント』(17)です。前作『プロメテウス』(12)の続編で、シリーズの立ち位置としては1作目の『エイリアン』(79)の前日譚になります。
サーの『コヴェナント』の“裏切り”って何だと思う?
――マイケル・ファスベンダー扮するアンドロイドのデビッドが人類を裏切るところですか? 今回、ファスベンダーは二体のアンドロイドを演じ分けている。ひとりはコヴェナント号に同行している単純化されたウォルター。もう一体は『プロメテウス』から続投のデビッドです。そのデビッドのほうが問題。ロボットは基本、創造主に従うものなのに、彼は人類を葬ろうとする。
アンドロイドではありません。私の言う裏切りは映画の内容ではなく、サーという監督がやった裏切り。ひと言でいうと“全部ばらしちゃった”。これまで何本かシリーズが作られているけれど、それらと決定的に異なるのは全部ばらしたこと。これまでは演出上の手練手管で見せていたものを、本作では「私はこれをやりたかったんだ」とぶっちゃけてしまった。
――もしかして、それはリド様の人間嫌いという部分ですか? 本作は驚くほど露骨だったから。
そうです。本作ではっきり宣言しちゃった。「人類なんてエイリアンのエサで十分」と吐き散らした。
――劇中、アンドロイドのデビッドに「価値のない種に再生はさせない」と言わせてますからね。徹底している。
それはどういうことかというと、演出家としての範疇を越えちゃったんです。違う言い方をすると、サー自身が、職業監督としての自分自身を裏切ってしまった。それを私は“裏切り”と言っているの。でも、同業者として言わせてもらえば、監督にはそういう瞬間がある。激しく波乗りしてきた監督ほど、そういう衝動に駆られてしまうんですよ。私は本当に映画館でびっくりした。「サー、ここまでやっちゃっていいの? このあと仕事を続けられる? 大丈夫なの?」って。監督はここまで自分の悪意をさらけ出してもいいのかってことですよ。実際、このあとサー自身による『エイリアン』は作られていない。当たりもしなかったからなんだけど。
――そうでしたね。
もうひとつ、『コヴェナント』が決定的にこれまでのシリーズと違うのは、演出的、ストーリー的にも全部をばらしちゃったところ。ラストも、ひとり生き残ったクルーが安心して冬眠ポッドに横になったとき、そこにいたアンドロイドが相棒のウォルターじゃなくデビッドだと気づく。けれど、時すでに遅し。次に目覚めたときは間違いなくエイリアンを植え付けられているだろうということがわかる。同じように冬眠している入植者全員に植え付ける気満々。デビッドは人間をエイリアンに捧げるつもりなんですよ。
――絶望的なラストでしたよね。私は大好きでしたけど。
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