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押井守のサブぃカルチャー70年「漫画の巻」【2021年11月号 押井守 連載第31回】

今回は、カルチャーとしての「漫画」について。好きな漫画は? という話にさっと行きたいところですが、まずは“助走”をお楽しみください。
取材・構成/渡辺麻紀

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日本での漫画の歴史を語るというのはメディア、つまり漫画誌を語ること

――今回は漫画についてお話をお伺いしたいと思います。これまでも石ノ森章太郎や手塚治虫についてはお伺いしているんですが、いわゆる「漫画」というカルチャーについてです。

映画でも言えるんだけど、漫画を作家で語るのか、あるいはメディアで語るのか、だよね。
(ジャン=リュック・)ゴダールが、カナダの大学で連続講演をやったとき、言っていたことなんだけど、「映画は、作家(監督)という山の連なりで語るものではない」なんですよ。「偉大な作家を語れば映画史を語ることになる」というのは大きな間違いだって、ゴダールは言ったんです。「もし、そうやって語っていると、映画の本質をいつまで経っても語れない」と言い、「作家主義の弊害だ」とまで言っているんです。

――「作家主義」って、ゴダール自身がそうだったんじゃないですか?

そうです。当の本人が言っていることだから説得力がハンパないんです。自分たちが始めたヌーヴェルバーグは作家主義を謳ったムーブメントだったんだけど、それは自分たちが映画を撮りたかっただけ。作家主義にしたのは、当時の多くの監督が映画評論家出身だったから。
ゴダールも(フランソワ・)トリュフォーも(クロード・)シャブロルも、自分たちが映画を撮りたかったから、監督を持ち上げ、作家主義を標榜しただけであって、映画の本質とは関係ない、そう言ったんですよ。つまり、偉大な監督たちを語れば、映画の本質を語ったと思うのは大きな勘違いだということなんだよね。

――フランスには、当時のゴダールのような若手監督がデビューするシステムみたいなものはあったんですか?

なかったんですよ。当時のフランスの映画界は、ジャン・ルノワールやジュリアン・デュヴィヴィエ等の、いわゆる巨匠たちが幅を利かせていて、彼らが撮るのは、いわゆる文芸映画だった。文学をやる人たちが映画を撮っていただけ――というところからゴダールたちは出発したんです。彼らを全否定すれば、自分たちもメガホンを取るチャンスが回って来ると考えたんだよね。
その当時のフランスがどうだったかと言うと、業界に認められないとフィルムひとつ買えなかった。現像すらやってくれなかった。
フランスは文化を国が管理している。政治と軍事のみならず文化もだから、まさに中央集権なんです。今でも芸術家は登録されていて「オレはアーティストだ」と言っても、国が認めてくれないと「芸術家」とは名乗れない。資格制なんだよね。
そういうなかで、たとえば(リュック・)ベッソンなんかはハリウッド映画のような作品を作り続けてヒットさせている。ベッソンが潔かったのは、フランスらしさみたいなものをきれいさっぱり捨てて、自分なりのハリウッド映画を作ったところ。おそらく、フランスの評論家連中は彼を苦々しく思っていて、認めてないんじゃないの?
彼らは、たとえばパリも、ひとつの都市という考え方じゃなくて文化として捉えている。都市は文化そのものという思想で、これはヨーロッパでは珍しくはないんだけど、とりわけフランスは厳しいんです。作家のアンドレ・マルローが文化相を務めたのも、そういう背景があったからなんです。

――フランス革命の国なのに、どこが自由の国なんだって思っちゃいますね。

それは幻想です。民主主義の本家本元はイギリス。フランスは革命のあとも王政に戻り、また市民に戻ったりと揺れ続けた。民主主義のまっとうな歴史を歩んだのはイギリス。イギリスこそ市民革命の国なんです。フランス革命は、いわば暴動だけど、イギリスの市民革命はちゃんと近代を作り出したからね。王族を死刑にしたのはフランスとロシアだけで、イギリスはやっていない。貴族や王族は血みどろになって戦っていたけどさ。
だから、フランスでおたく文化が花咲いたのも当たり前。国に管理されている反動だよね。

――なるほど……って押井さん、お題は漫画ですよ。

はいはい。だから、個別の作家を語ることで文化の本質は語れないと言いたいわけです、私は。
私がいつも言っているように、文化の95%はクズ。どんなジャンルであっても、上の5%だけが語るに値するもの。しかし、その5%は、下の95%がないと成立しない。ということは、95%を語らないと、文化を語ったことにはならないんです。アニメであろうが映画であろうが、漫画も小説も同じ。だからこそジャンルがある。
そのジャンルで山ほどクズを作り出して、5%の珠玉作がのし上がって行くんです。そういう5%の先鋭がなければ、表現も積みあがらない。トップが出来ることで、そこが生み出したものが下々のもとに流れてくる。その繰り返しが文化なんです。
このピラミッドなしには、少なくともサブカルは存在出来ないんです。
じゃあ、そのピラミッドを支えているのは何かといえばメディアなんですよ。映画からスタートしてTVというメディアが生まれ、そのなかでアニメが始まり、いまは配信という新しいメディアに移りつつある。それによってサブカルのありようも変わって来るんです。
そういう動きや流れのなかで監督も作品を作っていくし、漫画も同じなんですよ。

――押井さん、やっと漫画の話になりましたよ!

助走が長かったけど、そうじゃないと漫画を語れないから。石ノ森や手塚を語って、漫画を語ったつもりになっているだけだから。日本での漫画の歴史というのはメディアを語ること。つまりそれは、漫画誌のことなんですよ。

――漫画誌というと、戦後は貸本屋という文化があって、それから付録がたくさんついてた月刊漫画誌が登場しましたよね。

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