【5月号 特別企画】「今、日記が読みたい」06 嘉島唯【コラムフェスティバル①】
なんだか今、めちゃくちゃ日記が読みたい。
きっと一生に一度レベルであろう、この特殊な状況下で皆どう過ごし、どんなことを考えているのか。まずそれが気になるし、人と会う機会が減った寂しさから「肌触りを感じる文章」に触れたくなった、という気持ちもある。そんなわけで、個人的に気になる人たちに約1週間の日記を書いてもらった。
今回の書き手は、嘉島唯。自身のnoteや坂本龍一のインタビューなど、ライターとして注目を集める彼女が経験した、5月の連休生活とは。
編集/前田隆弘
カバーイラスト/スッパマイクロパンチョップ
かしま・ゆい● ライター。ニュースポータルのスタッフとして働きつつ、「Buzzfeed Japan」「cakes」などで執筆活動を行なう。第2回cakesクリエイターコンテスト受賞者。
嘉島唯|note
5月3日
前日深夜にTBSラジオの「文化系トークラジオ Life」で「コロナ下の“新日常”を生きる」という特集が放送されていたので仕事を早めに切り上げた。というのも、コロナ禍の最中「ソーシャル・ディスタンス」という言葉を聞いた時、2011年に批評家の東浩紀さんが『思想地図β vol.2 震災以後』の巻頭言によせた「震災で僕たちはばらばらになってしまった」という文章を思い出し、番組宛てにメールを送っていたからだ。
2011年、確かに分断を見た気がした。政治観、所得、居住地…ちょうどTwitterが流行りだしたこともあり、ばらばらなつぶやきが飛び交うTLを眺めて呆然としていたのを覚えている。それから約10年、フィルターバブルという言葉がバズワードになり、インターネットは必ずしも人を繋ぐわけでもないことが明らかになったし、意味のわからない炎上が起きては分断を感じる。コロナ禍においては、外出自粛が呼びかけられ、世界中でロックダウンの措置も取られた。「今は物理的にもばらばらだ」と思ったのがメールを出したきっかけだ。社会学者たちはどういう風に今の状況を捉えているのか聞いてみたかった。
「Life」に出演している社会学者の鈴木謙介さんは、「震災のときには“絆”という言葉があったが今回はない。この10年でその余裕すらなくなったのかもしれない」と言い、編集者の斎藤哲也さんは「今回は、災害ユートピアが発生しなかった。もしかすると、災害ユートピアとは、避難所や被災地にボランティア行くなど“集まること”で想像力が喚起され、助け合えたのかもしれない」と指摘していた。世界中からコロナウイルスの被害がニュースで伝わってくる。情報自体は知っているはずなのに。助け合おうという気持ちは、ソーシャル・ディスタンスの時代、発動しないのだろうか。自分の心の中にも。
5月4日
仕事がある日はだいたい6時に起き、7時から働いている。暦の上ではGW真っ只中のようだが、私はニュースを取り扱う仕事をしているのでほとんど関係がない。毎日どこかで事件は起き、何かしら注目発言がなされ、インスタにはお宝ショットがアップされる。
2月末から出社していないので、自宅で仕事し始めて2ヶ月以上が経った。受験生の時でさえ自宅では集中力が持たずに外で勉強していたのに、家で仕事をするのは案外苦労がなかった。そういえば、私はかなりの夜型なので、転職した際は前職の同僚全員に「大丈夫? 起きられる? クビにならない?」と心配されたが、なんとか働けている。
相変わらずコロナウイルスにまつわるニュースが多い。この日は、世界で感染者が350万人になったというニュースと、緊急事態宣言が5月末まで延長されるというニュースが並んでいた。観光地は閑散とし、テーマパークの再開は未定のままだ。私自身、5月に予定していた取材は2つ飛んだ。作家のパオロ・ジョルダーノが『コロナの時代の僕ら』で、イタリアに住む自身の状況を「予定外の空白の中にいる」と書いていたのを思い出す。一応、仕事はあるものの、今の状況は先の見えない長い夏休みのような気がする。夏休みは8月31日までだから良かったのだ。毎年、最終日に泣きながら宿題をしていた自分に教えてやりたい。
5月5日
実は、2年前から1人で遺品整理という名の終活をしている。といっても、気が向いた時に20年も前に他界した母の遺品を捨てる程度だったので、あまり進んでいなかった。如何せん、心の消耗が激しかった。モノは思い出のトリガーであり、それをゴミ袋に入れていくことは、故人を自分の手で消し去っていくような気がしたからだ。
しかし、次第に母の遺品を掘り起こすことは、昭和の文化をこの手で感じることができる、発掘作業のようだと感じ始めてきた。謎の花柄模様のポット、おぼん、ティーセットに貰い物のタオルたち。可能な限り無地の生活用品を揃え、本を買うならKindleを選び、不要になったモノはすぐにメルカリで売り飛ばしてしまう私にとって、親世代の生活様式は異質なものに思える。昭和は戦争という大きな喪失を経験した上に成り立っている時代だ。きっとモノは豊かさの象徴だった。すっかり成熟し、低価格な商品が溢れるようになった平成を通して、モノに対する価値観は随分変わってきたのではないだろうか。
この日は実家の奥底から出てきた写真の重量に驚愕した。デジカメ登場以前は、失敗した写真を“削除する”という行為すら存在しなかったので、ミスショットを含め、モノとしての写真が溢れんばかりに発掘された。ズームの機能も今より弱く、米粒程度に映った自分の幼少期の写真を見つけては「写真下手だなぁ」と笑ってしまった。同時にクオリティの低い写真からは、親の必死さが伝わってきて、自分が大切に扱われていたことを実感する。私は10代の頃から携帯電話でデジタル写真を撮っているわけだが、そういえば当時撮影した写真はどこにいったのだろう。SDカードに入れて保存していたはずだが、捨ててしまった気がする。
5月6日
休日だったので昼前まで眠り、コーヒーをいれる。高校生の時から空っぽの胃にカフェインをぶち込むのが好きだ。熱い液体が食道を通ると身体が少し驚いたようにキュッとしまる。内臓から身体を起こすような感じがして面白い。
昼過ぎから、ギズモード時代のS先輩がやっているPodcastの収録をした。「最近何をしている?」と質問されたことをきっかけに、ひたすら低温調理の話をしていた気がする。低温調理とは、温度を一定に保った湯で、肉や魚などの食材を長時間加熱する調理法だ。煮たり焼いたりするのではなく、専用のガジェットを使って一定の温度に保ったお湯の中に、下味をつけた食材をジップロック等にいれて熱を入れていく。低温で加熱することで、食材にギリギリ火が入った状態に仕上がり、どんな食材でも温泉卵のようになるのだ。出来上がった食材は、焼いたり煮たりしたものとは全然違う食感になる。ジューシーで、甘くて、やわらかい。
ブームになってから久しいが、「おうち時間」を機に時間をかけた料理をしてみたいと思い試してみると衝撃を受けた。ハナマサで買った牛肉を54℃で2時間加熱し、表面を焼けばレアステーキが完成し、500円の鴨肉を58℃で2時間半待てば鴨のローストができる。お湯につけている間は、仕事をするなりマンガを読むなりしていれば良い。
料理といえば「弱火でコトコト煮る」「シャキシャキ感が残る程度に」といった抽象的な表現が多く、感覚に委ねられるイメージがあったが、低温調理はその印象と逆を行く。素材の大きさ、お湯の温度、加熱時間といった「数字」をベースに、各食材の最適解を導き出すもので、科学実験のようなのだ。S先輩に向かって、まくし立てるように低温調理について語り、気がつけば3時間ほど話していた。
5月7日
朝7時から夕方までがっつり仕事をし、その後に自分の部屋を掃除した。手を伸ばしたのは、これまで開けられることのなかった「学生時代の軌跡ボックス」だ。お絵描き帳、交換日記、アルバムなど、わんさか出てくる黒歴史の玉手箱を整理することで、幼い頃の自分との対話を試みた。
ポロッと出てきた封筒を見てゾッとした。「12歳のユイから20歳のユイへ」と書いてある、小学校卒業時にタイムカプセルに入れた手紙だったのだ。
「20歳の私は、きっと大学2年生でクラピカのような彼氏ができているといいな。20歳になると結婚する人が周りに出てくるのかな」
冒頭一文で口から泡が出た。そうだ。12歳の私は『HUNTER×HUNTER』のクラピカに夢中だった。アニメの放映時には、勝負服を着てテレビの前で正座して待機していたし、ハンター文字も読めるように勉強した。クラピカの登場シーンでショパンの「英雄ポロネーズ」が流れれば、ピアノにかじりついて1日6時間ほど練習したこともあった。「You’re everything あなたと離れてる場所でも 会えばいつも消え去って行く 胸の痛みも」というMISIAの「Everything」の歌詞は、アニメ放映時にしか会えないクラピカと自分の関係を表しているようで、聴くたびに胸がキュッとなった。「クラピカみたいな彼氏ができているといいな」と強がって3次元の人間との恋愛願望を示唆しているものの、本当はクラピカ本人と結婚したかったのだ。
そんな小学生時代がありありと思い出されたパンドラの匣。ずっと忘れていたあの日々を鮮明に思い出した。
なお、20歳の時はクラピカのような男性にも出会っていないし、彼氏もいませんでした。12歳のユイちゃん、ごめんなさい。不甲斐ないです…。
5月8日
仕事の後に、フリーで受けているインタビュー記事が公開された。取材相手はCRCK/LCKSのリーダー・小西遼くんだ。音楽媒体での執筆だったが、彼の意向で声をかけてもらった。小西くんを知ったきっかけは、Apple MusicでCRCK/LCKSのアルバムがレコメンドされたことだった。科学実験しているようなポップスで、聞き馴染みのよさと、ちょっと危ない感じがした。そういった旨をTwitterに投稿したら、小西くんの”エゴサーチ”に引っかかったらしい。どうやら小西くんは、私の執筆した記事をいくつか読んでおり、Twitterをフォローまでしてくれていた。
すぐに意気投合し、初対面で朝まで飲んだのを覚えている。以来、夜な夜な仕事の悩みを相談したり、されたりする仲になった。仕事はもちろん、生活スタイルも、歩んできた人生も人間関係だって違う。インターネットがなければ交わることのなかった友人だ。それでも、共通の悩みを抱えることがあったり、同じアニメや小説が好きだったり、大切な部分がシンクロする。
インターネットの醍醐味は、意図しない範囲に広がりを見せるところと、いつでもアクセスできる手軽さだ。その結果、ミラクルが起きやすい。音楽メディアで書かせてもらえることなんて、サブカルをこじらせていた20代前半の私が聞いたら発狂するだろう。
5月9日
自分の文章が掲載された文藝春秋の発売日だった。Webの書き手としてご厚意で声をかけていただいたのだ。もちろん献本してもらっていたのだが、どうしても自分で買ってみたかった。一応、文章を書く仕事をしているものの、基本的にはインターネット上で読める記事ばかりなので「手にとって買う」という行為をしたことがなかったのだ。
世田谷代田のデイリーヤマザキに歩いて向かう。このコンビニは、Netflixで人気のバラエティ番組に出演していた漫画家が、自分の作品が初めて掲載された雑誌を購入しに行った“聖地”のひとつだ。店番をするおばあちゃんが彼を優しく労うシーンにいたく感動をしたので、いつか自分もこの店に行ってみたいとうっすら思っていたのだ。
店に入ると文藝春秋が2冊置いてある。緊張しながらパラパラとページをめくり、自分の名前を探すと、確かに「嘉島唯」の文字が載っていた。店頭の2冊をレジに持っていくと、あのおばあちゃんがこう話してきた。
「どうして2冊買うの…? もしかしてあなたの文章が載っているの?」
まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかった。小さく「はい」と答えると、「すごいわねぇ。お名前を教えて。私も読むから」と、優しく微笑んでくれた。人と会う回数が極端に減っていたこともあって、ちょっと感傷的になっていたのかもしれない。レジの前で涙がポロポロと落ちてしまった。なんとか自分の名前を伝えると、おばあちゃんは手元の紙にボールペンで「かしまゆい」と書いていた。
インターネットはさまざまなことを可能にするが、触って買うことはできない。フィジカルな出来事や存在はあらゆる“実感”を強くする。
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