【2021年11月号 爆笑問題 連載】『2021年のハロウィン』『イカ娘』天下御免の向こう見ず
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<文・太田光>
2021年のハロウィン
10月31日。ハロウィンの夜。この国では衆議院選挙の投票日であり、テレビでは常軌を逸した開票速報が放映されていた。
例年仮装した人々でゴッタ返すはずの渋谷は、新型コロナウィルスのパンデミックにより、去年から自粛ムードが続いており、秋以降感染者の数は激減したものの、今年も人はまばらで、仮装した若者達もいるにはいたが、皆マスクを着用し、酒を飲んで暴れることもなく行儀良く歩くだけで、目立った混乱は見られなかった。
短い期間の選挙活動を終えたばかりの政治家達は消化不良ではあったが、それなりに疲れていて、更に中継で結ばれた先の司会者からトンチンカンな質問を浴びせられ、誰もがしらけた表情だった。
「ここで速報です」とアナウンサーが言うと画面が切り替わり、明らかに携帯電話で撮影されたと思われる映像が流れた。
電車の車両。奥の方で火が上がり、煙が見える。悲鳴が聞こえ、乗客が手前に逃げてくる。駅から撮られた映像では車両の窓から我先にと脱出する乗客の姿が見える。
それまでテンションの高かった不謹慎な司会者の表情が急に真面目になった。
ジョーカーに憧れた男は、四角い部屋に一人でいた。
緑のシャツにチェックのネクタイ。鮮やかな青い上下のスーツの上に黒いコート。
映画の中のヒーローに似せたつもりだったが、完璧に同じとはいかなかった。
向こうの車両から悲鳴が聞こえる。
ナイフで人を刺した感触は覚えている。そのあとオイルをまいて火を付けたが、思っていたほど燃え上がらなかった。
ジョーカーとは、映画「バットマン」に登場する悪役だ。ケラケラと笑いながら何の躊躇もなく人を殺す殺人鬼。人気キャラクターで今までに何人もの俳優が演じている。最新版では主人公として登場し、社会に見放されたコメディアンを目指す青年が殺人鬼ジョーカーになるまでが描かれていた。
テレビショーの生放送中に人気コメディアンの頭をピストルで撃ち抜いたジョーカーはラストシーンで多くの民衆に支持され、喝采を浴び、指についたまっ赤な血で、ピエロのメイクの両口角を上げ、笑い顔をする。
男は何をしてもうまくいかない自分の人生をジョーカーと重ね合わせた。あのダークヒーローのように大量に人を殺せば死刑になれると考えた。しかし現実は映画のようにいかなかった。
乗客が逃げた車両で一人椅子に座っている時、誰かが駅から携帯電話で自分を撮影しているのがわかった。
ポケットからタバコを出し口にくわえ火をつける。なるべくふてぶてしく振る舞おうとしたが、手が小刻みに震えてるのがわかった。抑えようとしたが震えは止められなかった。見ている人達にはバレた気がする。
恥ずかしかった。
社会と遮断された四角い部屋の中。
男はぼんやりと窓を眺めていた。鉄格子の間から冬の空が見える。
ハロウィンの夜の凶行を世間ではどう受け止めているのだろう。
死者が一人もいなかったということは警察から知らされた。大量殺人者として死刑になるという自分の計画は果たせなかったようだ。
携帯電話は没収され、当然テレビも観ることは出来ず、自分の行為が社会に及ぼした影響は確認出来ないままだった。
「ケケケケケケ!」
突然ヘンテコリンな笑い声が聞こえた。
一瞬それはジョーカーの笑い声に聞こえた。
誰もいるはずのない部屋。男は声がした方を振り返る。
部屋の隅にいたのは今まで見たこともないような奇っ怪で白い小さな動物だった。耳が長くてウサギのようだが、顔が完全にネコのウサギネコだ。
ウサギネコはニヤニヤ笑いながらこちらを見つめていた。
「ケケケ、知りたいか?」
「……な、何を?」男は思わず聞き返し、慌てて口をつぐんだ。答えちゃ駄目だ。自分は今混乱しているだけだ。錯乱して幻想を見ているだけだと自分に言いきかせた。
「幻想じゃニャイよ」
男は両手で何度も目をこすり、目をこらした。それでもウサギネコは確かにそこにいる。
「ケケケ、そんニャことしてもおれは消えニャイニャ……」そう言いながらウサギネコはこちらに近づいてくる。
「ニャぁ?……知りたいか?」
「な……何を……?」
「おまえの世間からの評判だニャ」
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