山内マリコと和田彩花の美術館探訪 「山内マリコの美術館はあやちょと行く派」 @ドレス・コード?ー着る人たちのゲーム 展
アイドルとして活動しながら、大学院で美術を学んだ“あやちょ”こと和田彩花さん。6月にこちらのTV Bros.note版で、書籍『山内マリコの美術館は一人で行く派展』の書評を書いていただいたことがご縁で、著者の山内マリコさんから「いつか一緒に美術館へ行きましょうね」と声をかけたところ、なんと、さっそく念願が叶いました! 本のタイトルでは「美術館は一人で行く派」と言いましたが、あやちょが来てくれるなら、断然「あやちょと行く派」です!
この記事は、現在発売中のTV Bros.10月号に掲載されている同タイトルの記事に、未掲載のテキストや写真、対談を加えた完全版となります。
企画・編集/おぐらりゅうじ
撮影/川瀬一絵
やまうち・まりこ●1980年生まれ、富山県出身。大阪芸術大学映像学科を卒業。2012年、小説『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎文庫)で作家デビュー。近著は長編小説『メガネと放蕩娘』(文春文庫)やエッセイ集『The Young Women’s Handbook 〜女の子、どう生きる?〜』(光文社)など。9月19日から富山県美術館で開催される企画展「TADのベスト版 コレクション+」でゲストキュレーターを務める。小説『あのこは貴族』(集英社文庫)の映画化が決定、2021年に公開予定。
わだ・あやか●1994年生まれ。群馬県出身。2009年4月にアイドルグループ「スマイレージ」(後に「アンジュルム」に改名)としてデビュー。10年間の活動を経て、2019年6月にアンジュルムを卒業。現在はソロとしてアイドルを続けながら、大学院で学んだ美術に関連する活動も行なっている。得意分野は西洋近代絵画、現代美術、仏像。好きな画家はエドゥアール・マネ。好きな作品は《菫の花束をつけたベルト・モリゾ》。
今回2人が訪れたのは……
<展示> ドレス・コード?-着る人たちのゲーム
<美術館> 東京オペラシティ アートギャラリー
服を着るという行為は、私たちが社会生活を送るうえで欠かせない文化的な営みのひとつ。また、ファッションは 「着る」だけでなく「視る/視られる」もの。特定の文化や社会、グループで通用するコードがあり、そこから駆け引き、あるいはゲームにも似た自己と他者とのコミュニケーションが生まれる。本展では、ファッションとアートのほか、映画やマンガなどに描かれた衣装も視野に入れながら、300 点を超える作品で構成、現代社会における新たな〈ドレス・ コード〉、私たちの装いの実践(ゲーム)を、13のキーワードで見つめ直す。
〜巡回編〜
13のキーワードでめぐる新たな「ドレスコード」
00 裸で外を歩いてはいけない?
▲ミケランジェロ・ピストレット《ぼろきれのビーナス》1967年
山内 この展覧会にうってつけの作品ですね。目の前に服がこんなにあるのにビーナスは裸で、とても違和感のあるシチュエーション。街なかのヌード像もそうだけど、服を着せてあげたいと思ってしまう。
和田 私は美術を学問として学んできた立場として、ビーナスが裸でいることも、絵画で裸が描かれることも当たり前だとずっと思っていたので、そこに疑問を投げかけるっていうだけで衝撃です。
01 高貴なふるまいをしなければならない?
▲1790年頃のスーツ(左)と1770年代後半のドレス(右)。壁にあるイラストは漫画家・坂本眞一による描き下ろし。
山内 服飾の展覧会はひたすらこういう貴重な衣装が並べられているのが一般的ですけど、ザ・ロココな衣装はこの2点のみ。現代の漫画家とのコラボイラストが一緒に展示されていて、ここだけ見てもキュレーターのセンスを感じます。
和田 19世紀頃の風刺画で、ドレスの広がったスカートの上に雪が積もっている絵を見たことがあって、その時は「ちょっと大げさに描いているのかな」って思ったんですけど、こうやって当時の実物を見ると「これは積もるな」って確認できました。
山内 ここまで可愛い系に振り切れてると、上品とか高貴とかいう話じゃない気が。これ、現代で言うギャルの感性ですよね。かなりギャルっぽい方が着てたんじゃないかな。
和田 ギャル!? わ〜、そういう見方があるんですね!
山内 ここにリリー・ローズ・デップ(ジョニー・デップの娘)が入っているのが超現代的でヒップ!
和田 展覧会の全体としては、もともとはアートとして作られたものではない衣装などのアイテムが多いですが、合間にこうやって美術作品を入れることで、テーマやコンセプトが明確になりますね。
02 組織のルールを守らなければならない?
▲「組織のルール」の象徴として、1900年代から2000年代までのスーツが並ぶ。 手前:ヴィクター&ロルフ(ヴィクター・ホスティン、ロルフ・スノラン) 2003年秋冬
▲1970年代から2000年代までの、制服姿が起用されている映画のポスターを集めたコーナー。
和田 制服って、学校の決まりごとのようでいて、ネクタイをゆるめたり、スカートを短くしたり、着方によってアレンジできちゃいますよね。それが先生や学校に対する「反抗」にもなる。
山内 展示の流れによって、制服で慣らして、大人になったらスーツっていう、従順な人間を育成する社会のシステムをスマートに風刺してますね。
和田 ハイブランドの個性的なスーツを見ると、スーツでもここまでおしゃれができるんだなって、単純に思いました。
山内 逆にスーツというステレオタイプが君臨しているから、男性は女性のようにいろんなパターンのおしゃれが楽しめないのかもしれない。
03 働かざる者、着るべからず?
04 生き残りをかけて闘わなければならない?
▲労働着だったデニムがジャケットになったり、軍服だったトレンチコートや迷彩柄がブランドに採用されたり、元来の意味が変換されたファッション。 手前:アライア(アズディン・アライア)1986年春夏
和田 ミリタリーものを扱う古着屋さんで服を買ったことがあるんですけど、実際には軍隊で使用するために作られたものが、解釈を変えるだけで、かわいい服として成立するっていうのは、おもしろいですよね。
山内 いじっても、オリジナルを越えられない感はありますね…。デニムやトレンチコートは、それだけ完成した服ってことだ。
05 見極める目を持たねばならない?
▲ブランドが育てば育つほどロゴに蓄積される価値。今やSNS上で展開するブランド・ロゴのパロディが、公式にそのブランドから発売される時代。 手前:コシェ(クリステル・コーシェ)2018年春夏
06 教養は身につけなければならない?
▲コムデギャルソン(川久保玲) 2018 年春夏
名画などの“アート”を誰でも所有可能なものに変容させ、身につけたいという教養ある消費者の欲望をたやすく満たしてくれるアイテムたち。
和田 ウォーホルやアルチンボルドといった作家の作品が、ファッションブランドのイメージソースになっているのはわかるのですが、私は美術が好きだからこそ、個人的には服として身につけるべきではないのかなって思います。
山内 キーワードの「身につけなければならない?」は、習得という意味だけではなく、着る意味もあるんですね。それにしても、コムデギャルソンってどうしてここまで別格扱いなんだろう…。もはや、おしゃれなファッションブランドのレベルではない、神的な存在になっているのが不思議です。なぜここまで尊敬されているのか、誰か教えてください!
07 服は意志を持って選ばなければならない?
▲自立した女性のための「シャネル・スーツ」。カール・ラガーフェルドや山本耀司など、多くのデザイナーが時代にあわせて解釈・更新している。
08 他人の眼を気にしなければならない?
▲ハンス・エイケルブーム《フォト・ノート 1992-2019》
同じ日時・場所で撮影されたポートレイト写真。スーツやデニム、同じ柄や同じロゴのアイテムを着た人たちが類型学的に分類され、並置されている。
09 大人の言うことを聞いてはいけない?
▲アウトローの象徴ともいえるライダーズ・ジャケットや、パンクスタイルに取り入れられたタータンチェックなど、自由を求め、反抗を体現するファッション。 手前:バーバリー(クリストファー・ベイリー)2018年秋冬
10 誰もがファッショナブルである?
▲(左)グッチ(アレッサンドロ・ミケーレ)
ハイブランドと古着のミックスなど、どの服を選ぶかよりも、どう組み合わせるかを提示。あるいは、ファッションの歴史には残らないサブカルチャーの現代ファッションとは。
山内 グッチのアレッサンドロ・ミケーレ先生のイメージソースは一体どこから? それが気になる! コムデギャルソンのデザインは着るのは難しいものもあるけれど、グッチはこれだけ攻めてるのにギリ着られるっていうバランスがすごい。
▲中央と右:コムデギャルソン(川久保玲)2016年秋冬、ルイ・ヴィトン(二コラ・ジェスキエール)2018年春夏
▲15歳でレディースの総長になった少女のポートレートや、派手に着飾る北九州の成人式など、独自に進化、そして受け継がれる<ニッポンの洋服>を集めた都築響一編集による作品群。
山内 結局ここが一番盛り上がってしまった…お里が知れますね。ここまでの展示はファッションの文脈で鑑賞できたのに、都築響一さんの作品から急に人間ドラマになる。丸ごと逸脱しているような、人生と絡み合う作品の力に感動しました。
和田 私にとっては見慣れない世界なので、つい自分とは関係ないって思いがちだけれど、こういう世界もあるんだってことは忘れないようにしたいです。
11 ファッションは終わりのないゲームである?
▲マームとジプシー 《ひびの、A to Z》 2019 年
26人の架空のポートレイトと服、そしてモノローグによって、それぞれの生活やキャラクターを浮かび上がらせる。劇団「マームとジプシー」を主宰する劇作家・藤田貴大によるインスタレーション。
12 与えよ、さらば与えられん?
▲チェルフィッチュ 《The Fiction Over the Curtains》(alternate version 1)
役者の演技を撮影した映像が、半透明のスクリーンの向こう側に投影される。劇団「チェルフィッチュ」による<映像演劇>。
〜対談編〜
人々が何気なく着ているものによって、
文化は作られている。
山内 あやちょさん、このたびは念願だった一緒に美術館へ行く夢を叶えてくださり、本当にありがとうございます。
和田 こちらこそ、お誘いいただき、ありがとうございます。私もお会いできてうれしいです。
山内 今回の『ドレス・コード?―着る人たちのゲーム』展はどうでした?
和田 展示されているのがドレスやスーツ、有名なブランドのアイテムだったので、普段美術館で鑑賞している美術作品と違って、服として見てしまう側面がありました。「こういうの着てみたいな」とか「私には似合わないかもな」という、自分の好みだったりとか、美術作品を見るのとは別の視点や感情を抱いたのが新鮮でしたね。
山内 私は美術作品でも、買えるかどうかは別に、自分がほしいかほしくないかっていう目で見がちかも。「ほしいな〜」って思う作品はじっくり見るし、そうでない作品はささっと。そうしないと美術鑑賞は疲れるから…。今回も細部までチェックしたのは、結局シャネルのスーツ。物欲が絡むと真剣さが増します(笑)。
和田 デザイナーさんがデザインをすることによって、たとえばいつも見ているスーツにも新しい概念が生まれたりとか、ジェンダーを曖昧にすることで問題提起をしたりとか、単純に「着るための服」ではない見方もできることを改めて感じました。しかも、単体としての服が持つ意味に加えて、着る人や着こなし方で、さらにメッセージを発信することができるんだなって。そういうイマジネーションがもたらす意味は、アート作品よりも直接的に感じましたね。まったく同じアイテムではなくとも、服は常に自分が身に付けているものだからこそ、そう感じたんだと思います。
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