”緊急事態”のなかで、やるようになったこと、やらなくなったこと。 「先の見えなさを楽しむことにした」 富永京子(社会学者) 【6月号特別企画】
およそ2ヶ月前の4月7日、政府により緊急事態宣言が発出。これにより、新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、外出の自粛や、いわゆる3密の回避が求められ、人々の生活様式やコミュニケーションのあり方にも大きな変化をもたらしました。
また、切迫した状況下における、政府の指針や関係各所の対応、さらには(SNS上での振る舞いも含めた)人々の言動や態度などを目の当たりにし、根本的な生き方や考え方を見直した方もいるでしょう。
そこで、今回のコラム企画では『“緊急事態”のなかで、やるようになったこと、やらなくなったこと。』と題して、多方面の方々から「やるようになったこと」と「やらなくなったこと」をテーマにご執筆いただきました。
第2回は、社会学者の富永京子さんです。
とみなが・きょうこ●1986年生まれ。立命館大学産業社会学部准教授。専攻は社会運動論・国際社会学。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了後、日本学術振興会特別研究員を経て、2015年より現職。社会学の見地から、人々の生活におけるデモや社会・政治運動の文化的側面を研究。著書に『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房)、『社会運動と若者』(ナカニシヤ出版)、『みんなの「わがまま」入門』(左右社)がある。
先の見えなさを楽しむことにした
計画を立てたり、予定の話をするのが好きな方だ。言い方を変えれば、予定通りに成果が出ないと必要以上に焦るタイプでもある。「何日までにやっておく」「何歳までにこれをやる」という思考が、自分の生き方を規定していたようなところが少なからずある。
実は私の“緊急事態”は少し早く、2020年3月16日には始まっていた。私が過ごしていたオーストリアは、新型コロナの流行に対して他の欧州諸国のように一足早い緊急事態宣言を発出していたためだ。ある大学の客員研究員として滞在していたものの、大学に行くことができないどころか、外に出ることすらかなわない。帰国を予定より早く切り上げ、3月23日には帰国することになった。
私の勤務する大学は、大学での業務や講義を免除して1年間海外に滞在できる制度がある(聞いたことがある人もいるかもしれないが、こうした制度は「サバティカル」と呼ばれる)。ここ数年、納得いくように研究成果を出せていないこともあり、この期間にオーストリアで何とか成果を上げてやろうと考えていた。
結果だけを見れば、私のサバティカルは惨敗だった。これは別に新型コロナのせいでは全くない。私自身、慣れない土地での調査や研究活動にうまく適応できなかったのもあるし、研究自体が日々の積み重ねであるため、日本で停滞していたものを1年で取り返せるというのがどだい無理な想定である。自分、やっぱダメじゃん、と思っていたところにやってきた緊急事態宣言であった。
帰国後は外務省の要請に従い、14日間の「隔離」期間を自宅から出ずに過ごした。その間に日本でも緊急事態宣言が発出されたわけだが、この14日間は、自分にとってかなり貴重な経験だった。何がって、外に出られないのだから何もできないのである。人の助けを借りてスーパーで買い物してきてもらう。ほとんどUber Eatsを通じてしか外とつながらない日々が続いた。帰国者のみに課され、他の人には課されていない「要請」があるという事実がもたらす心理的重圧は結構重く(さらに、この時点では帰国者に対する陰性・陽性の検査も行われていなかった)、帰国直後は「新型コロナにかかっているかもしれない」という思いも相当強かった。新型コロナは一気に症状が悪化するという報道を見聞したこともあり、実は大切なひと数人には遺書めいたものを書いたりもした。
帰国の際、全員に配布された書類
自分自身がろくに何もできないというのもそうだが、そもそもこの状況である。外を見れば自分よりも大変な状況ーー仕事がなくなってしまったり病院にかかれなくなってしまったりーーという人が多くいることは想像に難くない。あるいは、外に出られないからこそ、介護や育児などに圧迫されて普段どおりの仕事が「何もできない」という人もいる。自分も「何もしない」という選択肢を取らざるを得ないが、もっと切実に「何もできない」人はたくさんいるのだ。
そんな中、短い時間軸で、自分が勝手に作った達成や失敗の基準にこだわっていられなくなった。社会にとって先が見えないこと、それぞれに内実は少しずつ違うとは言え、みんなが同様に苦しんでいるということが、私からも、つまらない「スケジュール主義」を奪うきっかけになっていたのかもしれない。
オーストリアでは、常に自分の領域に直結する研究を読まないと、国際誌に論文をもっと投稿しないと、「使えそうな」データを収集しないと、と焦っていたが、この14日間以降、そうした感覚は薄らいでいった。
いままではリサーチアシスタントの方にお願いしていた簡単な仕事(資料のスキャンなど)も、自分でやってみている。Zoomを通じた読書会でも、オンラインでの開講となったゼミでも、可能な限り自分の専門に関係ない本を読んでみようと試みている。それ以外の時間でも、ゲームのプレイ動画とか観ていたり、自力で服のシミ抜きをしたりしている。それまで、研究とは相反するような気がしてどこか後ろめたさがあったテレビやラジオの仕事も、こだわりなくお受けするようになった。リモートでの出演でメイクさんがいらっしゃらないから、口紅の色とか替えるのが地味に楽しい。まだやっていないが、ZINEとか作ったり、漫画とか小説を作っても楽しそうだなと思っている。
リモートでのテレビ出演
いずれにしても、ここ数年の自分が、抵抗を抱いていたり、お金で解決したり、「無駄」といって切り捨てようとしたり、やらなきゃと思いながら後回しにしていたものだ。
将来への不安がないわけではない。例えば、成果を出さなければ来年度の資金調達に影響するし、そうすれば私だけでなくアルバイトやリサーチアシスタントの方だって困る。私ももう33歳だし、周りは公私両面でどんどん今とは異なるステージに向かっている。いろいろ考えなきゃいけない歳なのに、そんなダラダラしてていいのかということは悩みすぎるくらい悩む。
でも、計画通り行くかどうかなんてわからないから、先の見えなさをゆっくり楽しむことにした。そういうわけで、締め切りをすこし過ぎているものの、のんびりこの原稿を書いている(すみません)。
読書会やゼミで読んだ、あまり自分の研究分野とは関連のない本たち
<書籍情報>
富永京子さんの最新刊『みんなの「わがまま」入門』が左右社より発売中。意見を言うことへの「抵抗感」をときほぐし、みんなで社会をつくるための5つの講義を収録。
企画・構成/おぐらりゅうじ
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