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「退屈な授業と退屈な授業の合間に」【戸田真琴 2021年3月号連載】『肯定のフィロソフィー』

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 橋本愛さんが共に歌い、出演もしている大森靖子さんの「堕教師」という曲のMVを見た。茫然自失のずっと先にある喧しい絶望のような空気が、学校と教室、教師という仕事に付随したイメージと重なって、なんてうまくできている作品なんだろうと感動した。
 教師という職業に関する最も古い記憶は小学校低学年の頃で、うちの母親は他人を容姿や態度で選別する人間だったので、当時の担任だった先生のことも家では馬鹿にし、あだ名をつけてからかっていた。人が人をバカにする、ということ自体をよくわかっていなかった私は、母に悪気があるなどとは微塵も思わず、母が家で連呼する担任のあだ名を悪気なく先生本人に伝えたことがあった。
「うちのお母さんが『◯◯(担任の名前)ブー』って呼んでたよ」
 失礼なあだ名に先生は怒り、母のもとに電話をしたそうで、家に帰ると「どうして先生に言うの? ママが怒られたじゃない」と怒られた。私が判断を間違えてしまったんだな、と思って反省した。
 中学校に上がると、生徒たちは親に似てくる。悪いところを吸収してしまったのだろう、以前は親同士でやっていた「先生の値踏み」を、今度はクラスメイト間でするようになる。中学1年の時に担任になった先生は、身体がおおきく肌が白く、丸坊主でアザラシのような素朴な顔立ちをしていて、「1年1組がひとつになれるよう頑張ります!」とガッツポーズをつくって大声で言うような、20代前半の男の先生だった。絵に描いたような熱血漢の先生に対し私はふつうに性格が合わなさそうだな…という感想を持っていたが、クラスメイトたちの反応はまた違った。まず先生を苗字で呼び捨てにし、悪意のある似顔絵を描いて回したり、先生の言った言葉を真似して言って笑ったりすることから始まって、やがて教室で先生がなんの質問をしても聞こえないふりをするようになった。
 小学生の頃から代わる代わる誰かを標的にいじめをしてきたハルカちゃんは口角をつりあげて、先生に対して「キモいんだよ、豚」と言った。それにつられて、教室中が笑っていた。給食時にクラスのみんなのテーブルを周り平等に話しかけにいっていた先生は、いつからか自分の机から動かずに、誰とも目を合わせずに給食をかきこむようになっていた。それでも夏にはクラス全員の家にウーパールーパーの写真のついた暑中見舞いを送ってくれていた。
 先生が無視されるようになって数ヶ月目の二者面談で、ずるい私は、「先生に対するみんなの態度、おかしいと思います。先生の話、私は聞いてます。ウーパールーパーの写真、ありがとうございました」と、言った。のどがからからに乾いて、声が震えた。話せば話すほど、自分のことがきらいになった。教室中のバカどもを黙らせることも、あんなに未熟なやつらの心理をいい方に誘導することさえできないことも、どんなにむかついても、静まり返っているときの教室ではついに何の一言も発することができないまま数ヶ月も先生を見殺しにしていることも、全部がはずかしく、それなのに悪役になりきることさえ出来ずに自分だけは違うなどと釈明をしようとしている卑怯な自分に腹が立った。先生は、「ありがとうなあ。戸田はやさしいなあ」と言った。表情筋が笑い方を忘れたように不自然につり上がり、わたしは泣いた。全部がばかばかしかった。私はこの先生の思想ややり方を、好きなわけでは決してなかったけれど、そういうことと、この先生が笑い方を忘れることとは、ほんとうに関係がないことなのだと少なくともわかっていた。気に食わない奴は嫌な思いをしていい、と、そういうふうに自然に思うようになったら人は終わりだ、と思った。まだ人生を始めて13年で、クラスメイトの大半が、終わっていた。

 学校の友達というものは、本当にくじ引きのようにたまたまここに集っただけで、別に、自分で選んだわけでも引き寄せたわけでもない。だからこそ、好きになれなくても、仲良くなれなくてもなんら不自然なことではない。同じクラスでいる間は仲良くしていたけれど、別のクラスになって教室を超えてまでわざわざ仲良くするほどではなかった、という友達だって、だれにでもいた経験があるだろう。私は中学も高校も、なんだかんだで好きだなと思える友達は何人もいたし、卒業の季節が近づくと少しは寂しくなったものだけれど、そういう寂しささえ、愛着による一過性のものだとわかっていた。前にも書いた気がするけれど、卒業式の帰り道に全員の連絡先を削除しても何とも思わなかった。やがてなくなるものは、そもそも「ある」ということを勘違いしない方が、ずっと精神に優しいのだった。
 
 同じくくじ引きで選ばれた教師たちの中に、たまに、やたらと記憶に残る人がいる。放課後の美術室で、美大予備校に行くお金のない私のデッサンを二、三度見てくれた先生。テスト問題が全部文章題で、歴史の知識と文章力が両方ないと高得点をくれなかった社会科の先生。サッカー部の男子にしか5をあげないえこひいきな音楽の先生。かれらは「教師」というキャラクターのようになって、ちょうどジャンプ漫画に出てくる先生たちのように、個性的に、頭の中に強く残っている。
 事務所に届いたファンからのプレゼントを受け取り、開封していると、一冊の本と手紙が入っていた。差出人の名前を読み上げてみると、口にしたことがある響きだった。ひとりくすくすと笑いながら、こんな名前の先生、いたな、と思い出す。その先生は、クラスメイトたちから下の名前で呼び捨てにされていた。仮にその名前を「さわお(仮)」とする。さわおは高校の時の先生で、くせのある喋り方とひょろりとした体型に品の良いガイコツのような佇まいの、まさにジャンプ漫画に現代文教師としてそのまま出てきそうな現代文教師だった。その頃わたしはすっかり勉強に対するやる気を失っていて、ほとんどの授業を毛布にくるまって寝て過ごしていたけれど、さわおの授業だけはよく聞いていると面白いので、なるべく起きていた。単元ごとの熱の込め方に偏りがあって、純文学の時には内容の濃い授業をし、そうでない論文を読み解くようなページは「これはあんまり重要じゃないです」といってすごい速さで読み飛ばしていた。受験のための勉強としては偏りがあって不便だという意見もあったが、純文学を愛していることがよくわかるさわおの授業が面白くて好きだった。夏目漱石の「こころ」の読書感想文でA++みたいな見たことのないMAX評価をくれたのもたしか彼だったはずだ。多分。うふふ、さわお、元気かなあ。と、なつかしい気持ちになって不躾に声に出してみる。さわおと同姓同名のこのファンの人はどんな人だろう、と手紙を開くと、そこにはこう書かれていた。

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