秋ドラマと、中身のある箱【戸田真琴 2022年11月号連載】『肯定のフィロソフィー』
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「たくさん見なきゃ皆が面白いと思える映画は作れないから」と、『さよなら絵梨』の絵梨は言う。それは、たくさん見れば皆が面白いと思う映画が作れる、の意味ではない。何かを作るための使命を持っていないにも関わらず「作家」という名の何者かになりたくて、たくさん作品を見てそれっぽい何かを作って成功している人も山程いるけれど、その映える箱の中身に何も入っていないことは、見る人が見れば普通にバレる。異常なまでに面白いのに世間的評価がまったく追いつかない作品はやまほどあるし、ああこの中身が空っぽの作品が流行っているのは運とタイミングといくつかのキャッチーな要素がちょうどはまったんだな、とドライな気持ちで見ているときもある。わたしは物事の表層にとことん興味がない。父親は自分の運転する車でヒットチャートを上から順番に流しているような人で、バンプオブチキンさえちょっと歪んだ趣味扱いしてくるような感じだった。真剣に涙が出た映画は世間ではユニークなもの扱いで、いつまで経っても私もそういう、ヒットチャートを上から順に聞く感じの人から、ユニーク。と言われる日々を過ごしている。ユニーク、ユニーク、喋っても歌っても書いても、もはやただ居るだけでもユニーク。「世界観があるよね」とおんなじ言葉を色んな人に何度も何度も言われすぎて、世界観世界観うるさいな次わたしに向かって世界観っていったら名前「世界観」に改名するぞ。と言っていたら、友達に、それ尾崎世界観の名前の由来と一緒じゃない? と言われた。あ、この、少しひねくれたところで誰かと共感した、この感じをわたしはきっと誰かに対してやらなきゃいけないんだ。と思う。絵梨、ごめん、わたしは全員をブチ泣かせるのはやっぱり無理かもしれない。だけど、カラフルな箱を空けたら空っぽで、そんなことばかりで途方に暮れて、どうせこれも何も入ってないんだろうなって惰性で誰かが開ける次の箱の、とんでもない中身になりたい。そのためには、惰性でも開けてみようと思うような絵を箱の外側に描かないといけない。どんな人がわたしのこれから作る作品を観るんだろう。どんな人がこの世界には生きているんだろう。それを何度でも、改めて、失望しながらでも知らないといけない。
秋ドラマをふたつ見ている。ひとつは『silent』。視聴率がすごくいいらしい。とても丁寧なつくりのドラマで、音の使い方が印象的だ。高校時代に相思相愛だったふたりが、難聴によって疎遠になり、大人になって再び出会う物語というのもあって、劇中では無音や、イヤホン越しに音楽が聞こえる感覚、そして手話で話すときの衣擦れの音などがとても丁寧に作り込まれている。聴者だが手話教室の先生をしている春尾の、“(ろう者やそれに関わる人は)絶対いい人なんだろうなっていう刷り込みがある”というセリフにぎくっとさせられた人も多いのではないだろうか。その言葉に象徴されるように、聴者とろう者、そして聴者からろう者になった人を巡って複雑な人間関係が展開される。登場人物はそれでもあらかた根のやさしい人が多い印象だけれど、恋愛が絡むことによって、それぞれに「いい人」で居続けられない瞬間が訪れる。それをシンプルかつまっすぐに映し出し、視聴者の共感を呼ぶ仕上がりになっている。最後にOfficial髭男dismの主題歌が大音量で流れるとなぜかみんな尊い存在のように見えてくるけれど、冷静に観るとけっこうそれぞれ身勝手だなと思う瞬間もあり、その人間くささの塩梅がとても上手いなと思う。ヒットするもののなかに、「純愛に見えて少し俗っぽい」ものや、「壮大に見えて身近」と言い表せるものが幾つも含まれているように普段から感じているけれど、それは冒頭に言った箱の外側の模様の話で、外側はとても綺麗だけれど中身は案外自分たちに近いものが入っている、という仕組みのものは一般受けしやすいように思う。ある種のヒットの法則なのかもしれない。ぱっと見て惹かれるきれいなものが、実は自分みたいだったら、誰だって嬉しい。
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