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"怪獣" 歌詞考察
サカナクションの「怪獣」という曲の歌詞を聴いてみた感想を綴らせていただきます。
こちら、サカナクションのYouTubeアカウントになります。
🔗https://youtube.com/@sakanactionchannel?feature=shared
※ご本人様の意思とは全く関係のない個人的な解釈となっておりますので、このことをふまえたうえでの閲覧よろしくお願いいたします。
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歌詞
何度でも
何度でも叫ぶ
この暗い夜の怪獣になっても
ここに残しておきたいんだよ
この秘密を
だんだん食べる
赤と青の星々
未来から過去
順々に食べる
何十回も噛み潰し
溶けたなら飲もう
淡々と知る
知ればまた溢れ落ちる
昨日までの本当
順々と知る
何十螺旋の知恵の輪
解けるまで行こう
丘の上で星を見ると感じるこの寂しさも
朝焼けで手が染まる頃にはもう忘れてるんだ
この世界は好都合に未完成
だから知りたいんだ
でも怪獣みたいに遠く遠く叫んでも
また消えてしまうんだ
だからきっと
何度でも見る
この暗い夜の空を
何千回も
君に話しておきたいんだよ
この知識を
淡々と散る
散ればまた次の実
花びらは過去
単純に生きる
懐柔された土と木
ひそひそと咲こう
点と線の延長線上を辿るこの淋しさも
暗がりで目が慣れる頃にはもう忘れてるんだ
この世界は好都合に未完成
僕は知りたいんだ
だから怪獣みたいに遠くへ遠くへ叫んで
ただ消えていくんだ
でも
この未来は好都合に光ってる
だから進むんだ
今何光年も遠く 遠く 遠く叫んで
また怪獣になるんだ
サカナクションの「怪獣」という曲。
チ。-地球の運動について-の主題歌でもあります。
この曲を聴いてまず初めに思ったことは、
抽象的な言葉を選ぶことで、聴き手に無限ともいえる解釈の余地を与える"知性"を感じさせる曲だなということです。探究心をくすぐる曲でもあると感じました。
曲名でもあり、歌詞に何度も登場する
"怪獣"という言葉。
これは一体なにを意味する言葉か。
私は、怪獣とは、
知性によって肥大化する欲望
とも言えるのではないかと考えました。
知性によって肥大化する欲望とは、すなわち"知識欲"。
わたしたち人間は、野生に生きる虎や狼などの獣と同じ生き物ではあるが、そんな獣たちと異なる点として
生まれながらに"知性"を宿しています。
知性をもって様々な物事について考えることは、
まさに人間の特権とも言える。
物を落として、「なぜ地面落ちるのか?」
月を観察して、「なぜ凹凸があるのか?」
光を見て、「この光に追いついた時どうなるのか?」
そのような疑念が生じ、追究しようと思うのは、私たち人間に知性があるからではないでしょうか?
そして、この世界には、考え尽くしたものにしか辿り着けない隠された領域が確かに存在しているからです。
それを私たちは真理と呼んでいる。
一度、その領域が"在る"と認識してしまえば、もう今までの世界で知らないフリをして生きてはいられないでしょう。
知性によって閃き、突如現れた未知の存在に触れてみたいと思う知的好奇心が原動力になる。
しかし、その領域に辿り着いたとしても、真理に触れたとしても、全てを知り得たとは言えない。
有限の時を生きる人間には掌握出来ない世界。
つまり、どれだけ偉大な人物でも、どれだけお金を払っても、人生をかけても、
この世界の全てを知ることはできない のです。
しかし、だからこそ人々は考えるのではないでしょうか。何回も、何十回も、何千回も、死ぬまで一生。
まるで何かに取り憑かれたかのように。
未知との出会いは、これまでの常識を覆してしまうほど刺激的なものです。一度触れてしまえば、
好奇心が奮い立つ。
音楽ってのもそうなんじゃないかなーと思います。
音楽にも無数の解釈が存在する。
作曲者が意図した解釈を正解と呼ぶにせよ、その正解が隠されていれば果てなき世界となる。
だけど、その無数の解釈を前に、思考を練って新たな発想を得る快感に全エネルギーを使える。
少なくとも、私はそうです。
何かを知りたいと思う知識欲。
人間の慾はどれも等しく底がない。
得れば得るほど、その欲望は膨らんでいく。
ましてや、果てしないこの世界を知ろうと思ってしまえば、肥大するスピードは尋常じゃない。
そんな肥大化した知識欲を抱えて生きている人間を、
まさに怪獣と呼ぶべきではないか。
冒頭でも言ったように、
私たち人間も野生に生きる獣と何ら変わりない欲望を抱えて、本能のままに生きていると思います。
ただ、違うのが、その本能を制御できる術を持っているというところ。
だから一見、本能のままに草原を走り回り、獲物を追いかけて食い荒らす獣とは全く異っているように感じる。
でも、私たちだって結局は底なしの慾を抱えて生きています。そして、それが満たされることを生きる源としている。
どんな時代を生きても、
得た知識を食べて、噛み潰して、飲み込んで、肥大化した人間は、怪獣に成ってしまう。不思議な獣。
そして、その怪獣は時に偉大なことを成し遂げる。
一生分では何も成せなくても、後世に生まれた人々のなかに同じ感動を体験する人が現れたら?
また怪獣が生まれたら?
それが歴史のように継承されていけば…?
そう考えると、人間にも無限の可能性を感じるのではないでしょうか。
・
この曲を聴いたとき、ものすごく心が震えました!
音楽聴いて感じる、この感動があるから、日々生きていたいと思えます。
チ。-地球の運動について- に登場する
ラファウという少年が言った、
「感動は寿命の長さより大切なものだと思う」
というセリフに大きく頷きたいです。