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早回しの毎日と今日を愛すること【うみまち交換日記 vol.8】

こあちゃん、こんにちは。本当に、朝晩はすっかり秋らしくなりましたね。夜窓を開けているとどこからともなく、秋の虫の声が聞こえてくる日々です。
日中はまだ、夏の気配も残っていて季節が移り変わる時間を楽しんでいます。

今日は、何から話そうなかと思いつつ書きはじめました。こあちゃんの「グレーを愛せるようにという」タイトルに惹かれて、その言葉がここしばらく頭から離れませんでした。

前回紹介してくれた『愛するということ』を読んだことがなかったので、今図書館で借りてきて少しずつ読んでいます。

愛することは技術であること。たしかになと感じます。

こあちゃんは前回「私にはまだ信じる気持ちが足りていないのかもなぁ…と気がつきました。」と書いていたのですが、技術や気持ちもあるかと思いますが環境もあるのかなと思ったりします。

そう思ったのは、私が最近あいまいさを失いかけていたからです。9月からもう一度等身大の自分で社会と関わろうと思い、デザイン講座の受講や仕事をぼちぼちはじめました。最初は良かったのですが、どんどんあれもやらなきゃ、これもやらなきゃとど明日の自分を楽にするために気がついたら今日の私を犠牲にして早回しの日々を送っていました。

そんな時に朝ぼんやりする時間をとったことで、なんだかまた「ぼんやり」を愛せる自分に戻りました。

今の日本の社会の構造は基本的には高度経済成長のころの働き方と何もかわっていないように感じます。暮らしを良くしよう、誰かを喜ばせよう、自分たちの生活を良くするためにたくさん働きたくさん稼ごう。最初は純粋な思いだったものが、仕事を提供する側もされる側も当たり前になってしまい、負担に感じながらもそのサイクルから抜け出すことができない。そんな早回しの毎日を送っている気がします。

自分の体調のこともありなんとなく、2・3年前からこの働き方が私にはしっくりこなくなってしまいました。
頭では切り替えればいいとわかっていても、実行するのは怖くて、そのサイクルから抜けた出したら私は社会と関われないのではないかと思っていました。
でも実際ぼんやりしてみると、それでも社会とは関われるし、むしろ自然体の私で関わることで良い波を起こしている気がします。

だから、気持ちではなく環境も大切なのかなと思ったりしました。

あいまい。グレー。それらを愛するということは、ずっと自分の心に持っておくことでもあると思います。

はっきりさせるということはその出来事はここで終わりと、ある意味自分から切り離す行為だと思います。
白黒つけることで、割り切れる、だから私とは一線を引いた外の出来事になる。

でも、心の中になんとなく置いておくって、少し重たくて、少ししんどい。
ぼんやりしたり、自分に余白を作れる環境にいれば置いておける荷物も早回しの1日を送っていたら、荷物がずっしと重く感じてきて、息をするのに邪魔なくらいしんどくて、どこかに置き直したくなるなと。

私もまだ実験途中で、きっと正解!というものではないけど、そんなことを思っています。

だから、私の日常には社会と暮らしを行き来する時間が必要なのかなと、逃げ場があればふと気持ちも頭も「あぁ、私にはこの世界がある」と気づいてくれるし、腹落ちする。

簡単には私たちのものにならないかもしれないけど、愛するということ、あいまいを受け入れるということ、グレーを愛おしいと思うことその感覚があるということだけは忘れないで歩みたい。そう思います。

どうか、私たちの未来が軽やかで穏やかで今日を愛せる日々であればいいなと思います。


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